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豆腐の角に頭をぶつけて死ねるか?
音楽をかけると集中できるの?
「勘当」ってどうやるの?
赤ちゃんは実は泣かない?
「灯台下暗し」の間違い
賞状に句読点がないのはなぜか
「侘び」「寂び」の違い
「マジ」のマジ!?な語源
「水は0℃で凍る」は間違い?
避雷針は雷を避けるの?引き寄せるの?
「エイズで死ぬ」は厳密に言うと間違い
磁石はどうして鉄を引き寄せるのか?
イヌやネコを郵便で送れるか?
犬や猫をいじめても罰せられない?
幻のスネ夫の弟
銃刀法ってどんなもの?
珍妙さ爆発、チョウチンアンコウの生態
海の不死鳥、不老不死のクラゲ
インコとオウムはどこが違う?
カバは血の汗をかく!
秋になると葉の色が変わる理由
彼岸花に毒があるといわれた本当の理由
西洋タンポポと日本タンポポの見分け方
知っておきたい花言葉あれこれ
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大疑問の研究

 

豆腐の角に頭をぶつけて死ねるか?

 多くの殺人事件のドラマの中でも、重要な焦点となるのが凶器である。凶器の隠し方や意外なものを凶器に使うといった謎解きは、数々のミステリー作家が挑戦してきた。

 その意外な凶器の部類に食材がある。例えば、カチカチに凍らせた肉を鈍器にして人を殺し、その肉を調理してやってきた刑事に食べさせてしまう…なんていうストーリーがある。

モノは使いようというわけだが、こんなことができるのも元々硬い食材であることが前提条件だ。
ことわざに「豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ」なんてのがあるが、どうぶつかってみても豆腐では傷一つ負うことはないはずだ。…と思ったらこれがそうでもなさそうなのだ。

 

 山形県の特産品に「六浄豆腐」というものがある。 これは硬めに作った豆腐に荒塩を丹念にすり込み、コチコチに乾燥させたもの。鰹節のように硬いため、削ってお湯で戻して吸い物の具などに使われる。 鰹節の削られる前のものを触ったことがおありだろうか。確かに大変硬い。

鰹節はどんなに大きくても鰹の大きさを超えることはないが、豆腐ならいくらでも大きく作れる。

四角い大きな六浄豆腐に頭をぶつけたら、打ち所が悪ければ死んでしまうかもしれない。

 

 普通この豆腐はすでに削った形で売られているが、元のままの形で入手することも不可能ではないはず。興味のある方は手に入れて、頭をぶつけてみたらどうだろう。 もちろん、どうなろうと当方は一切責任を負いませんのであしからず。

遺書にもここで読んだということはどうか書かないで頂きたい。

 

 

音楽をかけると集中できるの?

 音楽をかけると仕事や勉強がはかどる、という人がいる。

反対に音楽が聞こえると全く集中できない人もいる。

普通、事務系の職場や学校では音楽がかかることはあまりない。仕事をしながら音楽を聴くのは不謹慎だという考えが日本にはあるようだ。音楽を聴かなければ集中できない人にとっては困ったことである。

 

 だが、このように音楽をかけて作業をする時に、人によって集中力に違いが出てくるのはどうしてだろうか。ある人は集中できるし、別の人は全然集中できない。

 これは聴く音楽の種類も大きく関係してくる問題だが、ここはまあ無難な自分の好きな音楽ということにしよう。

実験でも確かめられていることだが、好きな音楽を聴いているときは脳波がリラックスした状態になる。この時は集中力が高くなっている。つまり、好きな音楽を聴くことは確かに集中力に効果がある。 しかし、音が聞こえているということはその分、脳が聞く事に使われているわけである。これでは何かに100%没頭することはできない。

 考えてもらいたいが、本当に集中力が必要な時に音が聞こえることを好む人はあまりいない。

書道や絵画、その他集中力が必要な作業では音楽はむしろ邪魔なことが多い。

だが、勉強や仕事など、ともすれば気が散ってしまいがちな場合には音楽をかけたくなってくるのではないか。 これはつまり、ふと気がそれたときに音楽に耳を傾けることで、作業の中断を短くしているのである。

 要するにこうもいえるかもしれない。 「集中力のある人は音楽を聴きながらの作業は集中できず、集中力のない人は音楽をかけることで効率がよくなる」

 

 さあ、胸に手を当てて考えてみよう。あなたは作業をする時に音楽をかけるだろうか・・・?

ちなみに私はこれを書きながら、さだまさしの曲を聴いているところです。

 

 

「勘当」ってどうやるの?

 「勘当だ!」というセリフはもはや死語になりつつある。最近のドラマにはそんなセリフはほとんど出てこないし、マンガにも登場しない。かろうじて落語の中に残っている程度だろうか。

 一般に勘当とは、親子の縁を切り、もう金輪際他人同士…といった状況を指すのに使われる言葉だが、実際の意味はもう少し広い。

 勘当は「親、主君、師匠などからその関係の解消を申し渡すこと」と定義できる。従っていわゆる破門のことを「勘当」と言っても間違いではないし、仕事をクビになったときも「勘当された」で正しいことになる。それが現在では、ほとんど親子関係の断絶といった意味に使われているわけだ。

 

 勘当を行うと、例えば親なら子の行動に対して責任を問われなくなり、財産の相続権も剥奪できる。全くの他人扱いである。 これによって社会的連帯責任を回避し、家の没落を防ぐことができた。

 勘当という制度はかなり古くからあり、江戸時代ごろに法制化されたようだ。日本の勘当には、「本勘当」と「内証勘当」と呼ばれるものがあった。幕府や役人、奉行所などに正式に届けを出して勘当するのが本勘当で、口頭での言い渡しなど公式ではない勘当が後者に当たる。こちらは言ってみれば家を叩き出されるようなもので、懲罰的な意味合いが強いものだった。 ちなみに、勘当は届けを出せば文字通り帳消しにすることができた。

 

 さて、この「勘当」、現在でも有効なのだろうか?つまり親は子供と法的に血縁関係を絶つことができるのか? 答えはNO。今の法律では血を分けた親子の関係を絶つことはできないのだ。(非公式の内証勘当はできるといえるかもしれない)

むしろ逆に、親が子供の世話に必要な義務を怠ったり、子供に著しい害を及ぼす場合、親権を剥奪されてしまうこともありえる。(民法第八三四条 親権喪失の宣告等)矛盾した表現だが、親が勘当されてしまうのだ。

 対して、どうしようもないワル息子の場合でも親は「二度とウチの敷居をまたぐな!」程度の擬似勘当しかできないのだろうか。 法的にはそうなのだが、手はある。民法第八九二条「推定相続人の廃除」がそれ。これは、子供がひどい虐待や侮辱をしたり、著しい非行があった場合に相続権を与えないようにすることができる、というもの。つまり、目に余る非行をした子供には財産を譲らない、ということが可能になる。  まあ、これができるのは子供がよくよくのことをした場合だけだし、そうでなくてもそんなことしたくはない、というのが親心だろう。

 上記の情報が単なる知識としてしまっておかれることを願うばかりである。

 

 

赤ちゃんは実は泣かない?

 「泣く子と地頭には勝てぬ」とはよく言ったもので、赤ちゃんといえば泣くものである。泣かない子がいたら回りはさぞ心配するだろう。そもそも、生まれた直後には「産声」といってなかなければ呼吸すらできない。

 しかし−お子さんがおられる方、または赤ちゃんを近くで見たことがある方はよく思い出していただきたい。・・・赤ちゃんが涙を流しているのを見たことがおありだろうか?

 

 実は、産まれてから数ヶ月の間は、赤ちゃんは涙を流さない。声を上げて喚きはするものの、ほとんど涙を流さない、つまり「泣かない」のである。 これは一体なぜだろう?

 産まれたばかりだからまだ涙が溜まっていない?いやいや違う。実は感情的に流す涙というのは、自分の気持ちを伝えるのに効果的だということを経験した後にしか出ないのだ。  例えば「おしめが濡れた」という事を知らせるには涙を流すとよい、と学習するのである。だからそのことを学習するまでの期間は、涙は−少なくとも感情的な−流さないはずなのだ。

 

 また、「涙は女の武器」というが、女性が泣くのも「涙を流すと相手の感情に訴えやすい」ということを学習した結果といえる。 だが、女の涙というヤツはなだめたり食べ物をあげたりで済むものではない。(と思う)すぐご機嫌を直してくれるぶん、赤ちゃんの方がラクかもしれない・・・

 

言葉の研究

 

「灯台下暗し」の間違い

 「身近の事情はかえって分かりにくいものである。」という意味のことわざ、あなたなら何を挙げるだろうか。恐らく「灯台下暗し」だろう。

私の父はズボンを履いたままズボンを探したり、メガネをかけたままメガネを探していることが時々あるが、これこそ灯台下暗し。―いや、これはただの天然ボケか。

 

 「灯台下暗し」は非常に有名なことわざなので、子供から年寄りまで多くの人に知られている。

 だが、あなたは勘違いしていないだろうか。「灯台」の意味である。

このことわざでいっている「灯台」とは、イラストにあるような船の目印になる岬の「灯台」では、

ない。

 さあ、今まで間違って覚えていた方は脳の回路を繋ぎ変えていただきたい。

「灯台下暗し」の「トウダイ」、実は「灯明台(とうみょうだい)」のことを指している。 

灯明台とは昔使われていた、油やろうそくを燃やして明かりとする室内照明具のこと。「燭台(しょくだい)」とほぼ同じ意味だ。

 灯明台の芯に火をつけて辺りを明るくしても、台の足元は暗くなっている。暗い部屋でろうそくをつけて見ればこのことがよく分かるだろう。このことから、現在使われているような意味に転じたわけだ。

 書くときはもちろん「灯台下暗し」で間違いではない。しかし、意味はしっかりと覚えておくようにしたい。ちなみに、岬のトウダイのことは「燈台」と書くほうがどちらかといえば、正しい。

 

 それにしても、「灯台」そのものの意味を間違って覚えていたとしたら、それこそ灯台下暗しである。

 

 

賞状に句読点がないのはなぜか

 私はこれまで「賞」というものをもらった経験がほとんどない。

なにやら小学校のときに親に手伝ってもらって描いたポスターが入選したような記憶があるが、それ以降これといって賞をもらっていない。

だから、スポーツや芸術に秀でた方の部屋に並んでいる賞状が、なにやら眩しく見えてくるものである。

 

 ところで、この賞状また感謝状などには句読点がないのである。前述したように手元にそんなものは一枚もないが、他の人のを見せてもらうと確かにない。 これはなぜだろうか。

賞状のレイアウトを見てみると、句読点を入れることによってなんとなく品位が落ちるのは分かる気がする。だが、理由はそれだけではない。

 

 そもそも、日本には文に句読点を入れるという習慣はなかった。句読点の入った文書が見受けられるようになるのは明治も30年代になってからである。西洋から、コンマやピリオドを入れるといった風習が輸入され、その反映として句読点が使われるようになったのである。

 では、なぜ句読点を使う必要が出てきたのか。これは、中国の漢文と関係があるらしい。

 皆さんも学校で習ったと思うが、「国 破レテ 山 河 在リ…」といった漢文には「レ点」「一二点」「上中下点」といった「返り点」が使われる。その系統として文の区切りや終わりを示す句読点が挙げられるのだが、慣れてくればこういった補則符号は必要ない。つまり、「符号を使う=学のない人」という図式ができてしまうのだ。

 

もちろん、句読点を使えば読みやすい文が書けるのだから一般の人が使う分には問題ない。

だが、賞状や感謝状といったものに使うとその人を見下す感じになってしまう、というわけだ。

つまり、賞状に句読点がないのは相手に敬意を表すため、と言えるだろう。

 

 ちなみに賞状などの宛名は「何々 殿」となっているが、「殿」は「様」よりも一ランク下の表現。

これは賞状を発行するほうが目上ということになるのだから、正しい使い方である。だが「殿」を手紙で使うと、礼を欠いた印象を与えかねないので気をつけよう。

 

 

「侘び」「寂び」の違い

  日本という国には、独特な感情や感性がある。 中でも、「侘び、寂び」は代表的な感性といえるだろう。 よく使われる言葉だが、では「侘び」「寂び」の意味を説明してみろと言われると困ってしまう。 なんとなく寂しい様子や枯れた雰囲気を表すのは分かるのだが、両者の明確な違いはどうも釈然としない。 ここは日本人として、「侘び」「寂び」の正しい意味を理解しておく必要がありそうだ。

 

  まずは「侘び」だが、これは「侘ぶ」という動詞が名詞化したもの 。「侘ぶ」には気落ちした様子やがっくりした様子、また閑居な地で生活するといった意味がある。 

そして、「侘び」という語は一般的には俳諧、とくに芭蕉の蕉風俳諧の美的理念なのである。

  落胆や失意の中に感じる、深い感情や情緒、味わいといったもの、それが「侘び」である。

これを受けて、芭蕉の句には寂しさや悲しみ、諦観といったものが表れている作品が多い。

「ものいへば 唇寒し 秋の風」  「夏草や つはものどもが 夢の跡」

「父母の しきりに恋し 雉の声」  「初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也」

といった句には芭蕉の「侘び」の精神が滲み出ているといえるだろう。 

 

  「寂び」は侘びの概念を更に発展させたものとも考えることが出来る。

賑やかな様子や豊かなもの、美しいものが閑寂になり、枯れたときに見いだす深いおもむき、それが「寂び」である。たんに寂しい、悲しい、孤独といった感情ではなく、そこに深い豊かさが伴わなくてはならなず、「侘び」と対をなす。

  例えば、人が大勢出て賑わったお花見。やがて花が散ってゆき、それも終わる。ひところの華やかさは幻のように消えうせる。そこに漂う一種の哀愁、寂寥、閑静といった感情。これが「寂び」と言えるだろう。 ノスタルジーや懐古主義とは近似をなしながらも一線を画す。まことに奥深い、日本ならではの豊かな感情だ。

 

  以上から、簡単に言えば「侘び」と「寂び」の違いは、 「侘び」は人の感情の中に情趣を見いだすもの。そして物事の様子から寂しさや深いおもむきを感じるのが「寂び」ということになる。

  だが、これはかなり簡略化した説明だ。実際の「侘び」「寂び」の持つ深い意味は、あなたの心で感じ取るしかないかもしれない。

 

  侘び、寂びを感じ取れる事象は身近に無数存在する。ただ見逃しているだけなのだ。

心のアンテナの向きをちょっと変えて、この深い感情を豊かに感じ取れる人間になりたいものである。

 

 

「マジ」のマジ!?な語源

 若い人なら少なくとも2日に一回は必ず使ってしまうであろう言葉が「マジ」だ。

世の中がそれほど信じられないというわけでもないだろうが、相づちの代わりとしてもなかなか汎用性の高い言葉なので愛用されている。

  この言葉の語源、普通は「まじめ」の「まじ」をとったものだとされている。なるほど、「それ真面目な話!?」が略されて「マジな話!?」かなり信憑性のある説である。もちろんこの説は正しいと思う。 いや、正しいのだろう。

だが、ここにひょっとしたら・・・という全く別の説が存在する。

 

  それは、打消推量の文語体である「まじ」からきたというもの。文語とは日本で古くに使われていた言葉だが、この中に「まじ」という助動詞が存在するのだ。

  文語の「まじ」には様々な意味がある。だが、その中でよく使われるのが打消推量、すなわち「・・・ナイダロウ」という否定の意味なのである。 そもそも「まじ」は不可能や禁止、否定を表わす語。今でも使われる言葉に「あるまじき行為」というのがあるが、あれは「あってはならない行為」のこと。つまり「まじ」が打ち消しに使われているのだ。 現在使われている「マジ」も「そんなことはないんじゃないの?」という軽い否定のニュアンスが含まれている。

  「まじ」の活用形は次のとおり。

 

 

  「まじ」が使われている書物には「ただ今は見るまじ」とある「枕草子」、「この事は更に御心より漏らし給ふまじ」という記述がある「源氏物語」など数多い。

これらの用法を見ていくと、「本当だろうか」ということを表わすのに「まじか」という言い方もあるのではないかと思われる。

  思うに、「マジ」がこれほど違和感なく市民権を得たのは、「まじ」という言葉自体が元来持つニュアンスを日本人として遺伝的に知っているからではないか。つまり、「マジ」は文語の「まじ」の下地の上に今の地位を築いたと言えるのだ。

 

科学の研究

 

「水は0℃で凍る」は間違い?

 水が0℃の時凍る、というのは小学校で習う常識だ。なにしろ、水が凍り始める温度を「0℃」と定義したのだから、これは揺るぎない事実、 のはずである。

 ところが、実は水が−10℃で凍らない場合もある、といったらどうだろうか。「なにか薬品でも入ってるんじゃないの?」と思うかも知れないが、そんなことは全くない。 完全に純粋な水を液体のまま、−25℃くらいまで冷やすことは実験室でなくても簡単にできるのである。

 

 種明かしをすると、このとき水は「過冷却」と呼ばれる状態になっているのだ。 「過冷却」とは、液体が凝固点以下、気体は沸点以下に冷却されても元の状態を保ち続ける現象のこと。水に限らず多くの液体が過冷却現象を起こすことが知られている。気象に関していえば、雲の中の水分が氷点下以下の温度になっても、氷の結晶とならずに水の状態のまま存在していることがある。極端な例では、雲の中の水分が−40℃程度までも過冷却されることがあるのだ。

 

 では過冷却状態になった水はずっと凍らないのかというと、そうではない。ゆすったり、氷の結晶を加えたり、またさらに冷やしたりとなんらかの刺激が与えられると凝固してしまう。過冷却の微妙な均衡が崩れてしまうためだ。 ということは、これを利用すれば何の変哲もないただの水を一瞬にして凍らせてしまうマジックができるのではないか?その通りである。ミネラルウォーターやコンタクトレンズ洗浄用の精製水を密閉した容器に入れ、充分な低温の冷凍庫でゆっくり、静かに冷やすと過冷却水ができるのだ。これをコップに注ぐと注がれてる途中やコップの中で瞬間的に凍ってしまう。まさに科学のマジックショーが楽しめるのである。 

 

 うまく作るのは結構難しいかも知れないが、挑戦する価値はあるだろう。また、スコッチやウオッカを飲むときにでも、グラスに注いだ瞬間凍るこの魔法の水を使ってみてはいかがだろうか。

 

 

避雷針は雷を避けるの?引き寄せるの?

 避雷針は当然雷を避けるハズ―そうでなければ困る。 

だが、マンガや映画などで雷が避雷針に落ちているシーンを見たことはないだろうか。あの有名な映画「バック・トゥ・ザ・フューチャ」にも避雷針に雷が落ちる印象的な場面がある。

それに、高いものに雷が落ちやすいというのは常識ではないか。 屋上などにある、ここめがけて落ちてくださいといわんばかりの避雷針は意味があるのだろうか。 実際の所避雷針は雷を避けてくれるのか?それとも引き寄せるのか?

 

 答えは、「避けもするし、引き寄せもする」というものだ。もっと正確にいうなら「雷を避けるが落ちた時も安全に電流を逃がす」となるだろう。そう、避雷針は実際に雷が落ちるのを防ぐのだ。でも高くにあって先が尖っているのにどうしてそんなことができるのか?

 

 そもそも、雷がどうして起こるのか考えてみよう。 まず、雲を構成している水分子などがこすれあう際に摩擦が発生し※、+−の電気が発生する。(なぜ摩擦で電気が発生するかはまたの機会に触れることにしよう。) このように電気を帯びた雲を雷雲または積乱雲というが、高い所の雲は+、低い所は−電気を帯びている。そしてこの二つの雲、また+と−の電位差が大きい所で巨大な電流が流れる。これが雲の中で発生する雷でいわゆる稲光である。

 さて、この雲が地上と干渉するとどうなるか。−の電気を帯びた雲に地上の+電気が引き寄せられて地上、とりわけ突起物の+電圧が高くなってゆく。つまり雲との電位差が大きくなる。そして両者の電圧が限界を超えると、「絶縁破壊」という現象を起こし大規模な放電が起こる。空気は電気を通さない不導体だが、電圧をどんどん高くしていくとこの現象が起きて瞬間的に電気が流れるのだ。これがつまり雷である。

 ではいよいよ避雷針の謎に迫ろう。避雷針は必ず先が尖っているが、実はあの先端に秘密があるのだ。

 

 このヘタな図は、先端面積が小さい場合と広い場合を比較したもの。

 広い場合、空気中と物体との間で電位差、つまり電圧の差が大きくなる。これは放電しやすい。水をためるバケツだと思えばいい。大きいほどどんどんたまっていって、限界がくるとあふれ出る。 

 対して先端が狭い場合。これはいわば水をためずに流しっぱなしにしているようなもの。穴のあいたバケツというわけだ。先端面積が狭いため、+の電気がたまる暇なくすぐに−電気と中和してしまうのである。 もし避雷針の先端が球状になっていたら電気が蓄えられやすく、電位差が大きくなるので落雷の危険性は非常に高い。尖っていなければ避雷針の役を果たさないのだ。

 また、もし電圧が大きくなって耐え切れなくなって落雷しても(穴のあいたバケツでも水を入れる量が多ければいつか溢れるのと同じ)地上に安全に電流を逃がすようになっている。

 ちなみに避雷針は先端から下45度の角度内は雷が落ちない安全域だといわれている。

 

 さて、ここまで避雷針の仕組みを解説してきたがお分かりになっただろうか。 勇気のある方は雷の鳴る日に尖った金属棒を持ち出して野原に立ってみて頂きたい。理論的には、雷を避けられるハズだから!?・・・(何があっても責任もちませんのであしからず)

 

※なぜ雲の中で電気が起こるのかはよくわかっていない。これは一つの説である。

 

 

「エイズで死ぬ」は厳密に言うと間違い

 これまで人類は様々な病気を征服してきた。 ペニシリンの発見によってしょう紅熱や破傷風などは死に至る病ではなくなった。 結核は十数年前までは死の病と恐れられてきたが、今ではワクチンでかなりの程度予防することができる。 医学の進歩は治らないと思われてきた病気や疾患に次々と打ち勝っている。 

 

 だが、1985年ごろに発見され今もって爆発的な増加率を見せているエイズ―Acquired Immune Deficiency Syndrome、後天性免疫不全症候群―に対する有効な治療法は確立されていない。 エイズは知ってのとおりヒト免疫不全ウイルス、HIVによって免疫系の働きが損なわれる病気である。 ここでエイズの基本的な発症経緯を復習しておきたい。

 

 私たちの体には細菌やウイルス※から身を守る免疫機構があり、それをおもに担っているのが「ヘルパーT細胞」(以下HT細胞)と呼ばれるリンパ球の一つである。HIVはこのHT細胞の表面にあるタンパク質にくっつき細胞内に侵入する。 そして長い潜伏期間―10年ぐらいが平均といわれる―の後そこで自らのコピーを作り増殖し、宿主細胞を破壊して別のHT細胞に侵入、といった経緯を繰り返しどんどん増えていく。 だが、このHIVの破壊活動そのもので死に至る事はない。 問題は免疫機能が低下したことにより起こる「日和見感染症」である。 日和見感染症とは免疫機能が損なわれたことにより普段はなんでもない病気にかかってしまうことをいう。 いわば警察のいない無法地帯と化すのである。

 日和見感染症は20以上の種類が知られているが、代表的なものにカリニ肺炎や結核、髄膜炎やヘルペスなどがある。 また日本人はサイトメガロウイルスという失明をもたらすウイルスに感染することも多い。

 

 エイズの感染経路は大きく3っつある。血液感染、性行為による感染、母子感染である。エイズ患者の多いアメリカでは男性同性愛による感染率が最も高い。だが、日本では過去の統計では7割以上が血友病患者であった。 血友病は血液中にある血液凝固因子が足りないため出血するとなかなか血がとまらなくなる病気である。 

それを治療する薬としてアメリカから輸入していたのが「非加熱血液製剤」で、これにより血友病患者の感染率が激増した。血液製剤はアメリカで売血によって集められた血液から作られており、血液提供者の中に1人でもエイズ感染者がいればそこから作られた製剤は全てエイズに汚染されてしまう。 

 日本の血友病患者はこの製剤を使わされ続け、5千人の血友病患者のうちなんと2千人がエイズに感染するという驚怒すべき事態となった。今も彼らはエイズやエイズの発病の恐れと戦っている。

 

 エイズについての正しい知識教育が学校などですすめらているにもかかわらず、エイズ患者に対する偏見や差別はなくなっていない。 エイズは感染力の弱いウイルスなので上に示した3っつの経路以外から感染することはない。日常生活で感染することはなく、患者に対する差別などあってはならないことだ。 

 そしてもし自分が感染したと思うときはすぐに検査を受けるべきである。 感染していたときも正しい治療を受けるなら発病をかなり遅らせることができる。 また家族や愛する人にうつさないよう自分から予防措置を講じることが必要だ。 感染者の家族ならば必ず支えになってあげなければならない。それと同時に感染を広げないよう注意をすることも大切だ。

 いずれにせよ私たち一人一人がエイズについて正しい知識を持ち、感染が広がらないよう努めるべきである。 

 

※細菌とウイルスの違いについては「難しい雑学の解剖」参照。

 

 

磁石はどうして鉄を引き寄せるのか?

 素朴だが難しい疑問の典型か。子供の頃から気になっていて、今でもやっぱりよくわからないという方もおられるだろう。 自分の子供に聞かれて困ってしまったという人もいるかもしれない。 確かにこれは少々難しいのである。原子レベルでの働きがあるので子供に聞かれてもなかなか答えられないのだ。ここではその長年の疑問をできるだけわかりやすく解説したいと思う。

 

 永久磁石である棒磁石を適当な長さで切ってみると、両端に再びN極とS極ができる。 こういった実験は学校でやった事があるかもしれない。 そしてこれを更に短く切って・・・ということを繰り返してみる。なんと、砂粒ほどの大きさになっても磁石のままなのである。 

 

 

 磁石のことを「強磁性体」ともいう。強磁性体は磁石もしくは磁石になりうる物質、早い話が磁石にくっつく物である。代表的な金属は鉄・ニッケル・コバルトの3種。 といっても普通は鉄しか目にしないだろう。 

 ではこれらは他の金属とどこが違うのか?それは原子を構成している電子の回り方。 普通、原子核の周りを電子はランダムに運動している。 そのため電子の位置を特定するのは不可能だ。しかし鉄などの原子では、電子が同じ向きに回転するのである。 

 例えれば普通の電子は校庭をでたらめに走り回っているのに対し、鉄の電子はトラックを周回している状態だ。 電子が同じ向きに回転し続けると、ちょうどコイルに電流を流したのと同じ現象が起こる。つまり磁場が発生するのだ。 そう、これこそが永久磁石の磁気の正体である。 永久磁石も原子レベルでは電磁石と同じ原理なのだ。

 そしてこの原子の向きを同一方向に揃えると、それだけ磁気が強くなり我々が目にする磁石になる。 揃っていないものが釘など普通の鉄※なのだ。

 磁石に釘を何本か連ねてくっつける、という実験をご存知だろう。あの状態は釘を構成している原子の向きが一時的にそろって、一時磁石になるために起こる。

 

 ここまでで一応磁石の仕組みは解明したが、しかしここで新たな疑問がわいてくる。 いわく、釘は一時磁石にしかならないのに永久磁石はなぜ磁力を保ち続けられるのか?磁石を熱すると磁力がなくなってしまうのはなぜか? これらの疑問は「難しい雑学」で扱いたいと思う。 磁石は奥が深いのだ・・・

 

※鉄に限らず強磁性体はみなそうだが、ここでは強磁性体の代表として鉄を挙げた。

 

世の中の研究

 

ヌやネコを郵便で送れるか?

 

 電子メールの普及で郵便を使う機会も少なくなったが、郵便も郵便なりに頑張っているのである。

手紙がダメなら定形外の配送業で利益を上げようと、「ゆうパック」や、「EXPACK500」といったサービスを提供してきた。「EXPACK500」は、500円で専用封筒を買い、そこに入る30kgまでの重さのものなら全国どこでも送れるというものだ。 なかなか便利なサービスだが、ふと疑問が起こる。一体、郵便ではどんなものを送っていいのだろうか。例えば、EXPACK500に入る大きさなら、生きたイヌやネコを送れてしまうのだろうか?

 

  郵便で送れる荷物については、「郵便規則」という規則で定められている。

その第八条五項を見てみると…

 

  五  生きた動物

      堅固なびん、つぼその他適当な容器に納め、容器には完全にその脱出及び排せつ物の漏出を防ぐ装置をすること。

 

 …送れる。これはもう間違いなく送れる。だが。「堅固なびん」の中で揺られ揺られて、生きて届く動物がどれほどいるのだろうか。しかも、絶対に逃げられず、また排泄物が漏れないようにしなければならない。まあ金魚や昆虫なら注意すれば平気だろう。 しかし、EXPACK500に入ったイヌやネコが生きて届いたら、これはもう奇跡というほかない。

 

  まず、EXPACK500の封筒にネコを押し込めなければならない。封筒はA4のチラシが250枚入る大きさだというから、どうにか入るだろう。 だが、脱出が出来ないように適当な容器に収めなければならない。ゲージを使うと入らなくなってしまうから、丈夫な麻袋がよいだろう。ここにネコを入れて、排泄物が出ないようにしっかりと口を締める。これを封筒に入れて、ポストに投函だ。

出した時間にもよるが、恐らく翌日か翌々日には届くだろう。 しかし、その間ネコはこの苛酷な環境に耐えられるだろうか?

じゃりン子チエに出てくる小鉄ならなんとか耐えられるかもしれないが、そこらの一般キャットはまずムリ。死んでしまうだろう。絶対にやってはいけない。

  EXPACK500の利用条件にも、いきものの送付はご遠慮ください、と書いてある。禁止ではないから送れない事はないが、恐らく発見された時点で拒否されてしまうのではないだろうか。

 

  ちなみに、普通の宅配業者では生き物は送れない場合が多い。もし無事に動物を送りたいという場合は専門のサービスを利用するのが賢明だろう。

  安いからといって、間違ってもEXPACK500で送ってはいけない。

 

 

犬や猫をいじめても罰せられない?

 大分前のドラえもんで、しずかちゃんちの隣のキョーボーなる人物が、ベソという犬をいじめている、という話があった。 キョーボーはベソにはろくにエサも与えず、嫌な事があるとバットで殴るのだが、それはあまりにかわいそうということでのび太が「ドロン葉」なる道具を使って救ってやったのだ。

 

  のび太はそれでいいとしても、我々の周りにそんなことをする輩がいた時にはどうすればいいのだろうか?いじめられているのを見るのは忍びない、かといってどうすることもできない、まさかいじめちゃいけないなんて法律があるわけない…と思いきや、あるのだ。これが。 動物をいじめることを禁止した法律。「動物の保護及び管理に関する法律」(昭和四九年四月1日施行、五八年 、平成十二年改正)がそれだ。

 

  単刀直入に言おう、「動物の保護及び管理に関する法律」第十三条@!

「保護動物を虐待し、又は遺棄したものは三万円以下の罰金又は科料に処する。」

  保護動物って天然記念物か何かじゃないの?と思わないように。続く部分には保護動物の定義について、「牛、馬、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、にわとり、いえばと及びあひる」と述べており、さらに「人が占有している動物で哺乳類又は鳥類に属するもの」と規定しているのだ。

  つまり、犬や猫はもちろんインコやハムスターまでいじめたり「遺棄」、つまり捨てたりしたら立派な「犯罪」なのである。

 

  それだけではない。第八条では、道路や公共の場において病気になったり怪我をした動物やその死体を発見をしたときは所有者に、所有者が分からない場合は都道府県知事に通報するよう努めなければならない、とも記載されている。 ただし、この場合は「努めなければならない」のであって「しなければならない」のではないから、厳密に言えば通報する義務はない。だが、車を運転する人は、もし犬や猫をはねてしまったら一応届け出ておくのがスジだろう。 都道府県知事は通報があった場合にはその動物を収容する義務があるのだ。

 

  この「動物の保護及び管理に関する法律」、動物を殺す時は安楽死させなければならないということなんかも書いてあってなかなか面白い。動物愛護週間もこの法律によるものである。飼い主の心得なんかも記されているので、ペットをお持ちの方、またそうでない方も一度目を通しておくとよいだろう。

(関連:第一回雑学検定 1級 2-4)

 

 

幻のスネオの弟

 私はなるべく欠かさず毎週のドラえもんを見ることにしている。邦画洋画を問わず最近の映画で泣けるのは大長編ドラえもん位のものである。

2003年春公開の「のび太とふしぎ風使い」も見に行ったがあれは泣けた。 感動を禁じえなかった。 劇場でもらったドラえもんがうちわを持った人形もパソコンの上に飾ってある。

 

  さて、ドラえもんに登場する主要キャラクターの一人がスネ夫である。本名、骨川スネ夫、2月生まれ、背が低いのが悩みの御曹司の甘えんぼ・・・なのだが、実はスネ夫には弟がいることをご存知だろうか?ご存知の方は相当のドラえもんマニアか雑学家であると見て間違いない。

  スネ夫の弟はスネツグといい、ニューヨークのおじさんの家に養子として住んでいる。スネ夫からの見栄はりまくりの手紙で、兄が立派な人間だと信じ込んでいるかわいそうな少年である。

  もともとスネツグはドラえもん連載初期の頃に脇役としてしばしば登場していた。だが、回が進むにつれ藤子・F・不二雄氏はそのことをすっかり忘れ、スネ夫は一人っ子という設定に変更されてしまったのだ。

  その後スネ夫には弟がいるという指摘を受けて再び登場することになり、その際上記の設定が加えられた。これはアニメでは1985年にお正月スペシャルとして放映されたので、覚えておられる方もいるかもしれない。

 

  今度スネ夫が画面に登場したときは、「この裏には暗い影を背負った少年がいるんだな」と思いながら見ていただきたい。…いや、別に思わなくてもいいのだが。

 

 

銃刀法ってどんなもの?

 滅多にお世話にならないが名前だけはけっこう知られている法律に銃刀法がある。

学校でカッターや小刀なんかを持っている友達にふざけて「銃刀法違反だ!」などと言ったことがある方もおられるだろう。(私だけか?)

 

  銃刀法は知ってのとおり銃や刀剣類の所持を制限する法律で、「銃砲刀剣類所持等取締法」が正式名称。シャレでいうときにもこの長い名前を並べ立ててやるとカッコいい。

 

  さて、銃はあまり縁がないので置いておくとして、気になるのはやはりナイフなどの刀剣類だ。 アウトドアショップなんかに行けば殺傷能力バツグンのサバイバルナイフが輝いている。あんなのをもってうろうろしてたら罪になるのだろうか?

 

  銃刀法における刀剣には槍やなた、あいくちが含まれるが、これらの長さは2条の2項で「刃渡り15cm以上」と決められている。 あいくちには長さの規定はないが、ほとんどのものは刃渡り15cm以上だろう。 またこの他に「刃が自動的に45度以上開く飛び出しナイフ 」もあるが最近は見かけない。

これらは「特別な事情」がない限り所持を禁止されているものだ。「特別な事情」で最初に挙げられているのが「法令に基づき職務のため所持する場合」仕事で持つのならいいというわけだから、料理人が長い包丁を持っていてもいいし 、きこりや猟師がなたをもつのもいい、ということになる。

 

 だが、これとは別に第22条に「刃体の長さが六センチメートルをこえる刃物の携帯の禁止」というものがある。 正当な理由の場合を除き刃渡り6cm以上の刃物を携帯してはいけないというものだが、2条は所持に対しこちらは携帯になっていることに注目。  逆に言えば、6cm以下の刃物を持っていたとしても銃刀法で検挙されることは考えにくい。 また、続きには長さ8cm以下のはさみ又は折りたたみナイフ等はこの限りではない、とある。

 しかし、この法律だけをみて小型の刃物の携帯は処罰されないと考えるのは早計かもしれない。 軽犯罪法には、「他人の生命を害し、又は身体に重大な危害を加えるのに使用されるような」刃物を隠して携帯していた者に関する罰則がある。(第一条第二項)6cm以下の刃物であっても、この条文を理由に検挙される可能性があり、またそうした例も事実ある。

 

 アウトドアショップ等で売っている七得ナイフなんかは色々便利なのでよく持ち歩く人もいるだろうが、繁華街や人が多いところでは携帯を控えたほうが懸命かもしれない。

 

動物の研究

 

珍妙さ爆発、チョウチンアンコウの生態

 

 深海には大変面白い奇妙な生物が多く生息している。

その中でも代表的なのが「チョウチンアンコウ」だろう。

アンコウの仲間にも、鍋物にするキアンコウなど食用になるものもいるが、チョウチンアンコウは外見からして食べられそうにない。

  だが、自然界の変なカタチをしたものは例外なく面白い性質を持っているものである。彼らはそれを身を持って証明してくれる生物だ。

 

  チョウチンアンコウの面白さといえばまず、疑似餌の役目をするチョウチンの存在だろう。この釣竿のような部分は背びれが変化してできた器官で、「イリシウム」と呼ばれる。ま、釣竿のほうが通りがいい。 そして釣竿の先端についているチョウチンのようなフサ、これは「エスカ」という。ま、チョウチンのほうが分かりやすい。

  さて、チョウチンアンコウはこのエスカを振って獲物を誘い、エサだと勘違いしてやって来た小魚を飲み込んでしまう。このエスカは多くのチョウチンアンコウ亜目の魚に見られるが、すべてが発光するというわけではない。中にはイリシウム(釣竿)がないものもいる。

  では、このエスカはどういう仕組みで光っているのだろうか。

チョウチンアンコウの場合、発行する性質のある細菌※を飼っているという。

なんだか、蛍を集めてその光で勉強したという中国の故事を思い出させるような話だ。 だが、蛍の光はルシフェリンという化学物質の変化によって起きるもので、体内に細菌を飼っているわけではない。つまり、蛍の発光とチョウチンアンコウの発光の仕組みは全く違うと思っていい。

また、チョウチンアンコウはこの液状の発光体を噴出することもできるという。

目撃例がないので確かなことはいえないが、目くらましに使うのかもしれない。

 

  だがチョウチンアンコウの奇妙さはこれにとどまらない。

なんと、オスはメスに寄生して完全に癒合し一心同体になり、しまいにはメスに吸収されてしまうという。#

オスはメスを見つけると体に噛みつく。その後、お互いの皮膚が癒合して血管もつながり、オスはメスからの栄養補給を受けて生きる事になる。しかも、時には数匹のオスが寄生していることもあるという。

  メスの体長はおよそ60cm。そしてオスは、なんと4cmほどしかないのである。

これはオスの役割が生殖活動以外にないため。産卵が必要なメスのように体を大きくする必要がないからだと言われている。

 なんだか究極のヒモといった感じだが、オスよ、それでいいのか…

 

※エスカの中の細菌はどのような仕組みで発光しているのかという疑問もわいてくるだろうが、これはかなり難しい話になってくるし、話を複雑にするのでここでは扱わなかった。

#実は「チョウチンアンコウ」と呼ばれる一種類自体のオスは寄生を行わない。だが、「ミツクリエナガチョウチンアンコウ」などは寄生を行なう。(ただし、ミツクリエナガチョウチンアンコウは、チョウチンアンコウ科ではなくミツクリエナガチョウチンアンコウ科の魚類である)

 

 

海の不死鳥、不老不死のクラゲ

 手塚治虫の代表的な作品のひとつに、「火の鳥」という漫画がある。この中で主軸として登場し、一貫した存在となっているのが「火の鳥」、フェニックスとも呼ばれる不死鳥だ。火の鳥は時間や空間を超越した生命体として描かれ、不死の命を持っており、その血を飲んだものは永遠の命を手に入れられるという。 そして、時が来ると自ら燃え出し、数日間燃えた後その灰の中から幼生として生まれ変わるのだ。

 

  「不老不死」 そんな人類の夢を体現した作品だが、実は火の鳥そっくりの性質を持つ生物が実在する。「ベニクラゲ」がそれである。

  ベニクラゲは花クラゲ目に属する体長1cm前後の小さなクラゲで、オセアニアや太平洋、大西洋など暖かい海の浅いところに生息する。日本でも北海道から沖縄にかけて広く分布している。体は透明だが、中心部に赤い器官を持つ。

  このクラゲが若返りの性質を持つということが確認されたのは1994年イタリアでのことで、比較的最近だ。 大学の学生が世話を忘れ、放置されていた水槽から、とっくに死に絶えたはずのクラゲが生まれたばかりの姿で存在していたのである。 そしてその時水槽内にいたクラゲこそ、ベニクラゲであった。 

  では、海にすむ不死鳥とも言えるこのクラゲの若返りのメカニズムを見ていきたい。

 

  ベニクラゲの若返り現象を解明する前に、普通のクラゲの一生を説明しよう。

クラゲは魚などとは違い、誕生から死までをひとつの姿で過ごすわけではない。種類によって個性があるものの、基本的には「ポリプ型」と「クラゲ型」の二つの形態を複雑なライフルサイクルの中で交互に変化させている※。  ポリプとは、口が上にあり、イソギンチャクやサンゴのように触手がその回りに生えている状態のこと。イソギンチャクはポリプの典型である。 

  そして普通のクラゲ−例えばマミズクラゲ−は、このポリプの状態からクラゲ型の元となる芽を出し、傘を持ったクラゲ型へと変化する。 更にこの状態から有性生殖を行い、プラヌラ幼生と呼ばれる子孫を残し、自らは溶けて死んでゆく。この幼生が岩などに付着して再びポリプを形成するのである。

  例えば、植物は地面に落ちた種から芽が出て生長し、やがて再び種を落として枯れてゆくが、これと同じようなサイクルだと考えていただければ分かりやすい。

 

  さて、ではベニクラゲに話を戻そう。 さっき、普通のクラゲは有性生殖後には溶けて死ぬと述べた。ところがベニクラゲの場合、有性生殖を行い老衰で死ぬ寸前、再び団子状になって根を延ばしポリプへと若返るのである。 この奇跡はわずか2日足らずのうちに起こり、ポリプから再び若々しいクラゲへとなって泳ぎだす。 一個体が自然死しない、不死の生物といえる。

まさに、死期が近づくと自らの体を燃やし、若鳥となって甦るという「火の鳥」そっくりではないか。

 

  奇跡的ともいえる特性を持つベニクラゲ。現在、様々な国で研究が始められつつある。我々の常識を足元から覆す、この1cm足らずの生物に今後ますます注目が集まっていくだろう。

 

※クラゲの生態は種類によってきわめて多様で、一概に述べることは出来ない。例えば、毒を持つカツオノエボシなどは小さな個体が役割を分担し合い、ひとつの大きなクラゲ型を有している。

 

謝辞:ベニクラゲの写真は「TOPIC」様の許可を得て掲載されています。

ご快諾ありがとうございました。

参考サイト:ベニクラゲ研究室様 紀伊民報AGARA様 リンクについてのご意向を尊重し、URLを記載するに留めさせて頂きます。

トップページ:http://www.agara.co.jp/index.html 

参考記事:http://www.agara.co.jp/DAILY/20031005/20031005_001.html

 

 

インコとオウムはどこが違う?

 

 どうも動物の世界には、分類がヤヤコシイ方々が多い。 クジラとイルカといいチョウとガといい、まったく混乱させてくれる。

今回のインコとオウムもヤヤコシさのチャンピオンクラスかもしれない。

 

  オウムもインコも「オウム目」という種に属する。そしてオウムはオウム目オウム科、インコはオウム目インコ科というわけである。

だが、実はオウム科にはわずか17種しかいない。オウム目の鳥は300種以上が知られているが、ほとんどがインコ科である。

 

  では、彼らの違いは一体どこにあるのか。 これは、一般的にはオウム目の小型のものをインコと呼んでいる。つまり、オウム科の鳥であっても小さいものなら「インコ」と呼んでも問題はない。ただし、これは 慣例的な呼び方で、生物学的な分類としては「羽冠」つまりトサカのあるものがオウム、とされている。

それが証拠に、立派なトサカが印象的なオカメインコも実はオウム科なのである。

  多くのインコ科の鳥は10〜30cmと比較的小型である。だが、スミレコンゴウインコなどは1メートルにも達することがある。大きさだけで決めているのではないのだ。

 

  オウム類はおもに熱帯地方に生息するが、近年は生息地の減少で絶滅が心配されている種も少なくない。

ところが、日本では捨てられたセキセイインコなどが都市部に住み着き、群れで生活しているという。

  一度飼い始めた以上、飼い主は責任を持って世話してもらいたい。捨てられたインコたちは、トサカにきてオウムになってしまうかもしれない。

 

 

カバは血の汗をかく!

 家族サービスでたまの休日に動物園へ…

まことに結構だがカバのコーナーでは気をつけた方がいい。動物園で一番怖いのはライオンでもヒョウでもなく、カバかもしれない。 というのも、カバはしっぽで糞を飛ばしてくるのだ。せっかくおめかしして出てきたのにカバのウンチまみれ、なんてことになったら楽しい休暇も台無しである。

 

  ところでカバは「血の汗」をかくといわれる。 陸にあがったカバの皮膚を見ると、まるで皮膚から血が滲み出しているかのように見えることがあるのだ。 しかしもちろんホンモノの血ではない。 

 この赤い分泌液は日焼け止めのような効果がある。カバは熱帯に住む動物なので、強い日差しや乾燥から皮膚を保護する必要があるのだ。

  カバの「汗」は粘り気があり、最初は無色だが時間がたつにつれて赤く変わり、最後は茶色のプラスチックのようになる。茶色になる際、アルカリ性から強い酸性に変化し、強力な消毒剤としての効果もある。そしてこの茶色の皮膜は紫外線を吸収する。 市販の日焼け止めも真っ青になるくらいの効能である。

 

  こんなに優れた効果があるなら、研究して新しい日焼け止めでも作れないものだろうか?

残念ながらそれは無理らしい。カバは数が少ない上、この赤い汗はとってもクサイのだそうだ。  あえて嗅ぎたいという物好きな人は、動物園に行ってみてはいかがだろうか。 もちろん、糞にも十分に注意していただきたい。 わざわざ不快な匂いを嗅いだ上、ウンチだらけなんてことになったら目も当てられない。

 

植物の研究

 

秋になると葉の色が変わる理由

 秋といえば紅葉。紅葉といえば紅葉である。・・・コウヨウとモミジは同じ漢字を書くのでややこしい。 秋といえばコウヨウ。コウヨウといえばモミジ、と書いたつもりだ。

だが、紅くなる葉のことは紅葉でいいのだが、イチョウなど黄色くなるものについては「黄葉」と呼ぶ。読みはどちらも「コウヨウ」なのでモミジを見てもイチョウを見ても「コウヨウが綺麗だね」と言えるわけである。 最近は両方ひっくるめて紅葉と呼んでいるが、赤と黄で漢字が違う事は一応知っておきたい。

 

 ところで、上のイラストの我々が普通にモミジと呼んでいる植物は、正しくはモミジという名前ではない。実はこれがカエデなのだ。モミジは元来秋に紅葉する植物の総称である。中でもカエデが美しく赤くなるのでいつの間にかカエデ=モミジと呼ばれるようになったのだ。 昔から「もみじがり」という言葉があるが、これは一種類の植物ではなく紅葉する植物全体を指して使われた語である。

 

 さて、このように秋になると葉の色が変わる。この赤や黄色がなんとも趣きのある色合いで、日本に生まれてよかったとしみじみ思う季節でもある。

 秋に紅葉(黄葉)する植物は先に挙げたカエデのほかにコナラ、ヤマザクラ、イチョウ、ポプラ、ヌルデなどがある。これらはみな落葉樹で、秋から冬にかけて葉が落ちる。日照時間が短くなり根の働きが弱って養分を得る事ができなくなるからだ。お荷物になる葉を捨ててしまおうという訳である。 そして紅葉また黄葉する謎はこの落葉と密接なつながりがある。

紅葉と黄葉ではその仕組みが若干違うのだが、それは色素の違いで基本的には同じだ。

 

 まず葉っぱが緑なのはご存じ葉緑素が含まれているため。 落葉樹は葉を落とす前になると、葉と枝の間に離層という水分を通さない層を作る。 これによって葉には養分がいかなくなり、葉緑素が壊れ始める。すると葉の中にあった糖分からアントシアニンという紅い色素が作られ、これによって葉が紅く変わるのである。 

黄葉も葉緑素が壊れる所までは同じ。ただ、それまで葉緑素に隠れて見えなかったカロチノイドという色素が見えはじめ、黄色く見えるのである。

 

 落ちた葉は一見なんの役にも立たないように思えるが、さにあらず。木や動物の大事な栄養になっているのだ。特にカロチノイドを含む葉っぱはビタミンAを合成する原材料ともなる。落ち葉は栄養満点なのだ。 自然界とは実にうまくできているものである。

 今度の秋、紅葉を眺めるときにはこんなウンチクを傾けるのもいいかも知れない。おっと紅葉とは限らない、黄葉もあるんでしたね。

 

 

彼岸花に毒があるといわれた本当の理由

 私の好きな花は彼岸花である。 悪趣味と思われようが、彼岸花が好きである。このページ (植物の研究)の壁紙も昔は彼岸花だった。あれほど怪しく美しい魅力をたたえた花は他にない。ひたむきに紅く、寂しく人気のない場所にごく短い時期だけ咲く。なんとも言いようのない寂寥感。花言葉は「悲しい思い出」―実に美しく悲しい言葉ではなかろうか。 

 

  この花はまた名前も多彩だ。彼岸花、曼珠紗華、死人花、幽霊花、剃刀花、灯篭花、捨子花、天蓋花、鬼首花・・・地方によっていろいろな呼び方があり、一説には全国で一千を超えるという。 これほど多く呼び名があるのも人々が不気味に思いながらも魅力を感じてきた証だろう。  曼珠紗華という名はもともとインド語で天上に咲く花を意味する。見るものの心を柔軟にする花だという。これほどの名が彼岸花に与えられているのも興味深い。

 

  また彼岸花には毒がある。これも有名な話である。毒があるから彼岸花に触ってはいけないと教えられた方もおられるのではないか。 そう、確かに毒がある。しかしこれは「わざと」人々に流布された策謀なのである。

  実は彼岸花は飢饉のときの非常食となっていた。彼岸花の毒は水にさらせば簡単に抜く事ができる。デンプン質が豊富で栄養価も高い。また球根をすりつぶせば薬にもなり、非常に重宝な薬草ともいうべき植物なのだ。 しかし彼岸花は繁殖力が弱く一度摘まれるとなかなか生えてこない。そのため、「彼岸花は毒だ」と言い伝えてよほどの事がない限り手を付けさせないようにしたのである。

  怪しく、美しく、不気味で誤解されてきたが実は人々の最後の頼みの綱となっていた彼岸花。 あなたにこの妖艶な植物の魅力を少しでも判って頂けたなら幸いである。

 

 

西洋タンポポと日本タンポポの見分け方

 冬将軍がいつしか過ぎ去り、ストーブをつける回数も心なしか少なくなってきた頃、道端に目をやると黄色いタンポポの花が可愛らしく咲いている。(ああ、もう春なんだな)なんて思う季節である。

  それからしばらくするとあのタンポポの背丈が随分伸びてきたのに気づく。そろそろ綿毛を飛ばし始めるものもいる。 そんな光景が見られる季節になったら、そのタンポポの種類を調べてみよう。日本には20種類ほどのタンポポがあるが、西洋タンポポとカントウタンポポ、いわゆる日本タンポポくらいは見分けられるようにしたい。

 

  西洋タンポポはその名の通りヨーロッパから入ってきた帰化植物で日本全土に生育する。花期は3〜10月と長期にわたり、これも日本タンポポと見分けるコツだ。日本タンポポは3〜5月と春にしか咲かないのだ。つまり、この時期を過ぎても咲いているタンポポなら西洋タンポポとみて間違いない。 日本にある他の種、関西タンポポやシロバナタンポポの花期も同じだ。

 しかし、西洋タンポポと時期の重なる春頃に見分けるにはどうしたらよいのか?そんなときは茎から花が出ている部分、総苞と呼ばれる箇所に注目してみるといい。ここを見ると西洋タンポポなら外皮が反り返っているのがわかる。反対にピタッとくっついているならばそれは日本タンポポである。

  しかしほとんどの花は外皮が反り返った西洋タンポポだろう。日本タンポポは今とても数が少ないのである。 日本タンポポは虫を媒介して受粉を行なわなければならないが、西洋タンポポは単為結実といって受粉をしないで種を作る事ができる。おまけに種が小さく遠くまでよく飛ぶ。この辺が西洋タンポポの繁殖力の秘密だと考えられる。

 

  タンポポはありふれた植物であまり花瓶に飾ることもないかもしれない。しかし野原に彩りを添える素晴らしい花である。 草むしりをする際に一緒にとってしまう前に、しばしご覧になっていただきたい。 つかんだ手を思わず離してしまう、そんな魅力がタンポポにはあるはずである。

 

 

知っておきたい花言葉あれこれ

 ちょっと誰かに花束を贈りたいとか誕生日に花を渡したいというときのために、花言葉を知っておくとよい。愛の告白にも花束はつきもの。贈る花の花言葉を知って、自分の気持ちをよく表した花を選びたい。

 

  花言葉は多くの場合ギリシア神話や伝説、中国の故事に由来している。忘れな草の花言葉は「私を忘れないで」「真実の愛」だが、この花言葉のいわれを知っている人も多いだろう。

 川のほとりに青い花を見つけた騎士が、恋人にその花を摘んであげようと崖下まで降りた。しかし急流にのまれ、流されながらも彼は恋人に花を投げた。その時叫んだ言葉が[Forget me not](私を忘れないで)これが忘れな草の由来である。

  このように花言葉にはそれにまつわる伝説がついている事が多い。それらを調べてみるのも面白いだろう。 では次に知っておきたい花と花言葉を幾つか挙げよう。

 

  まずは一番ニーズが高いと思われる愛から。

「愛」そのものを表す花はバラ、赤いキク、スミレ、アイリスなど。バラは赤が熱烈な恋や愛を意味する。恋人に贈るなら赤かピンクがいいだろう。モスローズにも愛の告白という意味があるのでよい。

 

  「恋」「幸せな恋」を意味するのはアンブロシア、ドラセナ、クチナシ。「恋の苦しみ」はアネモネ、とりわけ赤いアネモネである。またアサガオには「はかない恋」という意味がある。

  「喜び」お礼の花を贈るときに使いたい花だ。カタバミ、カラジューム、サイネリア、ジャスミン、キキョウなど。「感謝」の意味をもつカンパニュラを贈るのいい。

  「悲しみ」悲しいことがあった人を慰め共感を表すのに贈りたい花。イチイ、キンセンカ、クジャクヒバ。

  「祝福」お祝いの花束には次の花を含めるとよい。ハボタン、ポインセチア、フクジュソウ。ポインセチアは鉢植えが適するので鉢ごとあげるのがよいだろう。

  また、悪い意味を持つので贈るのを避けた方が無難な花もある。例えばアジサイには高慢という意味があるし、黄色のカーネーションには軽蔑という意味がある。

 

  花言葉は覚えておいて損はない。花言葉の本を一冊買うか、サイトで調べてもよい。

大切な人には思いをこめたよい意味の花を、是非贈りたいものである。

 

 
     
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