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言葉の研究 Page 1 2 3 全て表示

言葉の研究

言葉の研究2

「後の祭り」は本当にある
「おもちゃ」の語源
どら息子―「どら」ってなんだ?
漢字の生い立ちを探ろう
「かかし」たんぼに立ってなぜかかし?
挨拶の謎
鉢合わせ−鉢を合わせてどうする?
「あばら骨」と「あばら家」って関係ある?
「サイレン」とはギリシア神話から
二束三文ってなにが「二束」?
西向く侍って何のこと?
酒の肴−魚と関係があるのか?
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言葉の研究

 

「後の祭り」は本当にある

 

 チャンスを逃して後悔する事を「後の祭り」というが、この言葉よく考えるとヘンである。文法的には「祭りの後」が正しいのではないか? L・Fバウムに「オズの魔法使い」という有名な作品があるが、このオズとはエメラルドの都に住む奇術師の名前なので、「魔法使いのオズ」とでもすべきである。 まあどうでもいいことだが、これと同じ事が「後の祭り」にも言えるのではないか。

 

  ところが、これを詳しく調べてみるとこの慣用句に限ってはこの言い方が正しいのである。というのは、「後の祭り」は7月1日〜29日まで京都で行なわれるあの祇園祭の一部なのだ。 祇園祭の醍醐味はなんといっても山車と鉾車(ほこ)が繰り出される17日の山鉾だ。これを「前の祭り」と呼び、24日からを「後の祭り」と呼んで区別する。後の祭りには山鉾などは出ず、いまひとつ盛り上がらない。 そんなところからこの言い回しが生まれたわけだ。 

 

  ならば「後の祭り」なんてものを作るんじゃなかったと京都の人が嘆いても、それこそ後の祭りである。

 

 

「おもちゃ」の語源

  「おもちゃの日」というのがあるのをご存知だろうか。この日がいつかを知っていたら、相当のおもちゃ通か、あるいは「この日なんの日」マニアであると見て間違いない。 

 おもちゃの日は5月5日。子供の日、端午の節句と同じである。制定したのは日本玩具協会それに東京玩具人形問屋協同組合といったえらいマイナーな方々。子供の日だからおもちゃの日にもしてしまおうという、実に単純な発想である。

 

  ところで「おもちゃ」という言葉は頭の中で反芻してみても全く意味のわからない言葉である。「お」は接頭語だとして、「モチャ」ってなんじゃ?もしや外国語か ?とさえ思えてくる。

  実はこの言葉「玩ぶ」もてあそぶ、が元になっているとされる。もてあそぶというとなにやらいんぴな響きがあるが、これは「持って遊ぶ」の意味。 この言葉が紆余曲折を経て今の「おもちゃ」という言葉にまで変化したわけである。

 しかし、口に出して呟いてみるだけでなにやら遊ぶものという感じがしてくる。見事なネーミングである。

 

 

どら息子―「どら」ってなんだ?

 「このどら息子が!」といえば父親が遊び人の息子を勘当する時の常套句である。

しかし、この「どら」という語はなんだか今ひとつよく分からない。 サザエさんの一番の歌詞にも「お魚くわえたどら猫 追いかけて〜」と、これにはどら猫という言い回しが使われている。どらって一体なんなのだろう? そう、ドラえもんもどら猫をかけたものであろうから、密接なつながりがあるといえよう。アニメ好きの私としてはこの謎を解かずには置かれない。

 

  というわけで、広辞苑を開いてみると、「放蕩。道楽。また、道楽者。のら。」と味も素っ気もないコメントが並んでいる。ふむ、どうやら「のら」と同義語らしい。だがどら猫がのら猫になるのはいいとしても、どら息子がのら息子になるのはちょっとヘンな気がする。そう思って調べると、面白い説が見つかった。 遊郭の隠語からきているというものである。

 

  昔は時報に鐘を使ったが、このことを遊郭では「鐘を撞く」(つく)と「金を尽く」にかけたというのだ。つまり、客がじゃんじゃん金を使うようにという縁起言葉の隠語である。

そこから金をじゃんじゃん使い果たす、つまり「銅鑼(どら、すなわち鐘)を打つ」の銅鑼をとって「どら息子」という言い方が生まれたと言うことだ。現在使っている言葉にも遊郭で生まれたものは多い。充分に頷ける話である。

 

 

漢字の生い立ちを探ろう

  私たちが普段使っている漢字は、ほとんどがお隣中国からはいってきたものである。しかし例外として国字というものが結構ある。これは日本で作られた純国産の漢字だ。例えば、「辷る」(すべる)や「辻」(つじ)「榊」(さかき)「凩」(こがらし)「凪」(なぎ)「峠」(とうげ)そのほか魚偏のものなどまだまだある。 

  中国からきたものにせよ国字にせよ、その構成に注目してみると面白い。前述の榊はなるほど神様の木だし、風を意味する「几」に木でこがらし、同じく風が止むからなぎである。山の上下で峠と読ませるのはなるほどと思わせる。 

 

  漢字は元々象形文字が変化したものだ。だから、簡単な漢字はそのあらわす形をしている事が多い。「目」は我々の目の形をたてにしたものだし、山や川なんかはその典型である。 「弓」という字もそうであるが、「引」という漢字はどうか。弓の後ろに線が一本。これは紛れもなく弓のツルを「ひいて」いる状態である。

 さらに、「片」という漢字は生い立ちが面白い。 「木」という字の古字は「片」の字を左右対称にしたような形をしている。これを縦半分に割ってみると、当然のごとく「片」という字が出来上がるのだ。 「片方」の「片」は半分に割られた木だったのである。

 

  このように、普段何気なく使っている漢字もよく眺めてみると面白い発見があるものだ。一度じっくり観察してみてはいかがだろうか。

 

 

「かかし」たんぼに立ってなぜかかし?

  かかし―案山子と書く。「銀色の毛布つけた 田圃に ぽつり 雪をかぶって置きざられた 案山子が一人」と、 さだまさしが「案山子」の中で歌っている。だからどうしたと言われても困る。

 

 かかしとは田舎のたんぼのトレードマークとも言えるものである。黄金色に実った稲穂の中には、どうしてもかかしというアクセントが欲しい。かかしがあってこそ日本のたんぼで、かかしを立てるためにたんぼが存在するのである。―そんなことはどうでもいいが、このかかし 、目的は稲を狙う鳥などを追い払うためのもの。古くは肉などを焼いてその匂いで鳥獣を追い払っていたらしい。つまり、「かがし」から転じたものなのだ。しかし肉など焼いたらかえって匂いにつられてやってきそうな気もするが・・・多分じっくりと焼くのではなくいぶすようにしたのだと思われる。 しかしそれでは鳥がこないのはいいが人間様も近づきがたい。そこで今のように人形を立てるようになったというわけだ。

  最近ではCDを吊るしているが、あれはあれでなかなか効果があるようだ。 だが、やはり趣のある案山子が減ってしまうのは惜しい気がする。

 

 

挨拶の謎

 我々は一日のうち何度くらい挨拶をするだろうか。

「おはようございます」に始まり「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」「ごめんなさい」「こんにちは」「宜しくお願いします」「失礼します」「どういたしまして」「こんばんは」「さよなら」「ただいま」「おやすみなさい」

まだまだある。普段ほんとに何気なく使う言葉だが、実際にどんな意味なのかちょっと考えてみたい。 

 

  「おはようございます」や「おやすみなさい」「失礼します」などはそのままだからいいだろう。「いただきます」これも問題ない。「ごちそうさま」これは御馳走様と書くが、馳走という言葉にはもともともてなすために忙しくするという意味がある。 色々してくれてありがとうという感謝をこめた言葉だ。 そのありがとう、漢字では「有難う」だが、もとは「有難いもの」つまり珍しいものをあらわす語だ。 枕草子にも「ありがたきもの」という段があり、なかなか見られないものを連ねている。 「ごめんなさい」は御免なさいの字が示すとおりで、責を免れさせてください、ご容赦くださいの意。

 

  「こんにちは」や「こんばんは」これらを「こんにちわ」「こんばんわ」と書くのは間違い。「今日はよいお天気ですね」とか続く言葉が略されているので「は」でなければおかしい。

 

 「よろしく」には様々な意味があるが、挨拶の場合「まあよしなに」といったところ。 「どういたしまして」は英語ではnot at all、何もしてませんと謙遜して言う言葉。英語圏でも同じような表現をするのが面白い。

 

  「さよなら」これをそのまま意味を取ろうとすると難しい。正しい言葉に直してみるとよくわかる。 丁寧に言うと「さようなら」だが、これは「では(左様なら)おいとまさせていただきます」ということなのだ。 話が終わって「へい、左様なら」というわけだから、帰っていく友人に「さよーならぁー」と手をふるのは本当はなんだかおかしい。 もっとおごそかに、落ち着いて言うべきセリフである。

というわけで、左様なら。

 

 

鉢合わせ−鉢を合わせてどうする?

 誰かにばったりと出くわしたことを「鉢合わせした」なんて言い方をする。 だが鉢合わせなんてちょっと考えてみればヘンな言葉である。

鉢ってあの植木鉢のことだろうか?だとしたら、そんなもの合わせてどうするのだろう。 

ここで、もう一つ鉢という語のつくものを思い出してもらいたい。「鉢巻き」である。小学生のときに運動会などでしめたアレだが、この言葉と照らし合わせると「鉢合わせ」の由来もおのずとわかってくる。

 そう、もうお分かりだと思うが、「鉢」には「頭、頭蓋骨」といった意味もあるのである。 鉢巻きはなるほど頭に巻くものだし、鉢合わせは、頭同士をぶつけそうになる状況ではないか。

 

  ちなみに、人間の頭蓋骨で作られた杯も実在する。なんとも悪趣味なアクセサリーだと思うが。

 

 

「あばら骨」と「あばら家」って関係ある?

 「肋骨」なんと読むだろうか。十中八九「ろっこつ」と読まれるのではないだろうか。 もちろん、ろっこつであっている。正しい答えである。だが、私はこれを別な読みで打ちこみ変換した。   「あばらぼね」である。つまりあばら骨はろっこつの別称だ。 

 

  あばらといえばもう一つ思い浮かぶのが「あばら屋」という言葉。漢字では「荒屋」と書き、荒れすさんだ家、つまりぼろい廃屋という意味。また、あずま屋と同じく休憩所を意味する場合もある。 では、このあばら骨とあばら屋の「あばら」どういう意味なのだろうか。

 

  実は、あばらは「疎」とも書く。家がまばらにあるの「まばら」と同じ意味で、同じ漢字だ。つまり、あばらとは「すきまの多い」という概念が根底にあるのだ。あばら骨は空疎になっているし、あばら屋は風ふきっさらしですきま風が入ってくる。 だから、この二つの言葉に「あばら」が使われているのは至極当然なのである。

 

 

「サイレン」とはギリシア神話から

 サイレンは英語で[siren]と書く。意味は知ってのとおり、救急車やパトカー、時報などに使われるあれである。

 外来語の中にはギリシャ神話などに由来するものが結構ある。

例えば台風のことをサイクロンというが、あれはギリシア神話に登場する巨人族のサイクロプス(キュクロプス)からきているといわれる。この巨人は一つ目なので、それと台風の目をかけたのかもしれない。 

 

  これと同じようにサイレンは、ホメロスの「オデュッセイア」に登場する半人半鳥の怪物「セイレーン」が転化したもの。セイレーンは美しい歌声で船人をおびき寄せ、命を奪っていた。 これはまさに人魚伝説そのものである。実際、羽を持った人魚のような姿をしているとする文献もある。

  オデュッセイアでは、 主人公のオデュッセイアはサイレーンの魔力から逃れるために水夫たちの耳に蝋を詰めさせ、自らを帆柱に縛り付けて無事妖怪から逃れる事が出来たという。 一方、誘惑が通用せず絶望したサイレーンは、海に身を投じて石になってしまった。

  なんだか悲しい物語だが、私たちが耳にする時報のサイレンは時に、悲しみにくれる妖怪の叫びに聞こえてくる気がする。

 

 

二束三文ってなにが「二束」?

 「バザーで茶碗を二束三文の値段で買ってきた」というように極めて安い価格で捨て売りされているときに使われるのが「二束三文」。

 

  三文というのは昔のお金で、江戸時代の寛永通宝一枚が一文。 そこでこの「二束」だが草履(ぞうり)の二足を意味する。 

江戸時代の金剛草履がこのようにして売られていたことから出た言葉だといわれている。

金剛草履というのはわらなどで編んだ丈夫な草履で、金剛石(ダイヤモンド)のように硬く長持ちするという事からこの名がついた。

 

  今ならさしずめバナナの叩き売りが「二束(ふたたば)三十円」といったところか。もっともバナナの叩き売りなんて懐かしい光景、最近はまずお目にかかることができない。

 

 

西向く侍って何のこと?

 「にしむくさむらい」という言葉をご存知だろうか。若い人はあまり聞いたことが無いかも知れないが、お父さんお母さんの年代ならきっと知っているはずだ。 西向く侍と言っても文字通りの侍のことでは、もちろんない。

  実はこれは31日がない月の覚え方なのだ。

つまり 「に」2月、「し」4月、「む」で6月、「く」9月、そして11月だが、侍こと「士」を十一と読んで11である。「士」という漢字は一文字で「さむらい」とも読むのだ。

 

  この覚え方は確かに便利なのだが、ふとすると「あれ、31日のある月の覚え方だっけ、ない月の覚え方だっけ?」ということになってしまいやすい。そんなときは30日もない2月を思い出せばよい。2月はいつでも28か29日までだから、31日がない月のおまじないだ、とすぐわかるというわけだ。

 

 

酒の肴−魚と関係があるのか?

 最近はビールを飲む人が増えたためか、「肴」さかな、という言葉をあまり耳にしなくなった。ビールでいうおつまみのことを、とくに日本酒や焼酎などに添えるときは肴という。 酒はぬるめの燗で肴はあぶったイカでいいとか唄われているが、なるほど日本酒には魚介類のつまみがよくあう。  ということは、単純に魚→肴と転じたものなのなのか?ところが実は全く逆なのである。

 

  古く、「肴」は「酒菜」と書いた。字義的に考えて野菜のみを指すのかと思ってしまうが、この「菜」には野菜はもちろんのこと鳥や獣、魚等も含まれている。つまり酒のおかず全般を「酒菜」と呼んだのである。ちなみに、おかずのことを漢字では「お菜」と書く。

  この「肴」の代表的なものが魚介類、つまり「魚」であった。そのため、「肴」から「魚」の「さかな」という読みが生まれたといわれている。

 

  今宵の晩酌は、こんなウンチクを傾けながら日本酒でも一杯、どうだろうか。

 

 
     
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