植物の研究

月下美人―なぜ一晩しか咲かないのか
和名が付けられた花の中には、粋なものがたくさんある。例えば「虞美人草」「紫式部」「綾波」「優曇華」「勿忘(わすれな)草」などなど。
素晴らしい名前の花は数あれど、中でも最も美しく優雅な名の一つと言えるのが「月下美人」ではあるまいか。 美しさと気品が字面から伝わってくるだけでなく、詩的で、語呂もじつによい。このネーミングセンスは見事という他ない。
花にあまり詳しくない方のために書いておくと、月下美人はサボテンの仲間で、サボテン科クジャクサボテン属に分類される。原産地はメキシコやブラジルといった南米熱帯雨林地帯。
月下美人の名を聞いたことがあるという人でも、その実物の花を見る機会に恵まれた人はそう多くはないかもしれない。 よく知られているように、この花は年に1度、多くても2度しか花をつけず、咲くのは真夜中で朝には枯れてしまうからである。
たった2時間ほどしか花をつけない月下美人だが、20cmほどもあるその白くて大きな花は非常に美しく、また目に沁みるほどの馥郁(ふくいく)たる香りを立ち込めさせる。一夜限りのその希少な美しさのために、月下美人を栽培し開花を楽しみにする愛好家も少なくない。
それにしても、月下美人はなぜ夜に咲くのだろうか。どうしてこれほど大きな花をつけるのだろうか。また花の色が白いのには意味があるのだろうか。最後に、なぜ一晩で
花を落としてしまうのだろうか。
これらの疑問に答えるためには、この花の原産地の環境を考える必要がある。 まず、植物が花をつけるのはその花粉を動物によって運んでもらうためだ。日本では主に昆虫が
その役目を担っているが、月下美人のふるさとである熱帯雨林地帯では、もっと大きな動物も貢献している。 なかでも、月下美人が上客としているのは、コウモリである。
多くのコウモリは昆虫などの小動物を主食とするが、木の実や花の蜜などを餌とする「果実コウモリ」と呼ばれるものもいる。
月下美人の原産地では小型の果実コウモリが多いに花粉の媒介を助けているのだ。
彼らはホバリングしながら上向きに咲いた月下美人の花の蜜を舐めとり、同時に顔を花粉だらけにする。運よくそのコウモリが別の株に花粉を運んでくれれば、受粉が成立することになる。
花粉のキューピッドが夜間活動するコウモリであることを考えると、いくつかの謎は解ける。昼の熱帯雨林はライバルになる植物が多い。それを避けて、月明かりの中でも最高に目立つ色である白の大輪を咲かせ、更に強力な香りを放って夜に活動するコウモリたちを誘因する。それにコウモリが乗ったくらいで折れてしまうようでは話にならない。大型で丈夫な花を咲かせる必要がある、というわけだ。
では、数時間で花を落としてしまうのはなぜなのか。
明確な答えは難しいが、常緑植物である月下美人は子孫を残すのにあまり焦る必要がない、という要因があるかも知れない。また目立つ大きな花を咲かせるために大半のエネルギーを使い切ってしまい、花を長く保つ力がないともいえる。 月下美人は年に1度咲くと思われがちだが、十分な栄養を取っていれば2回花をつける。そのことからも、花にかけるエネルギーの比率がほかの植物よりかなり大きいということがわかる。花火のように、大きな力を一瞬で燃やしつくすのかも知れない。
しかし、いくら理屈をこねてもこの花の神秘さと不思議さを解明することはできないように思う。見事な「自然の多様性」の一つと言うしかないのかも知れない。
アジサイの色が変わる仕組み

アジサイは雨に濡れた姿が似合う花だ。
梅雨の季節になると、公園や庭先でアジサイをよく目にするようになる。こんな所にアジサイがあったのか、と驚くような場所に咲いていることもある。
この花は赤、青、紫、あるいは白と、多彩で微妙な色を持つ。また、一つの株の花びらの色が少しずつ変化していくこともあり、そこから「アジサイの七変化」という言葉もある。
変化に富んだアジサイの微妙な色合いは何によって決まるのだろうか?
実は、アジサイには色素が一つしかない。「アントシアニン」である。アジサイの色の研究は古く、50年前からアジサイの色の変化はアントシアニンによるものだということがわかっていた。
アントシアニンの水溶液を酸性にすると赤色に、アルカリ性にすると青色になる。園芸に詳しい人なら、「土の酸性度によってアジサイの色が変わる」という話を聞いたことがあるかもしれない。
確かに、アントシアニンは酸性度によって色を変化させる性質があるのは事実だ。しかし、実は赤いアジサイも青いアジサイも、酸性度は大きく変わらない。pH3.0〜4.0の間で、強めの酸性を示している。つまり、アジサイの色の変化は酸性かアルカリ性かという単純な問題ではないのだ。
結論から先に言うと、色を左右する要因は3つある。
「土壌の酸性度」「アルミニウムイオンの量」「遺伝的な要素」これらが複合して微妙な色を形作る。
特にアルミニウムイオンの量が花の色を決める大きな原因だ。
アルミニウムイオンというのは、土壌中のアルミニウムが溶け出して特殊な状態にあるものだと考えてもらえればよい。
アジサイのアントシアニンはアルミニウムイオンと反応すると青くなることが最近の研究でわかった。
アルミニウムは酸性で水によくとけるため、土壌が酸性だとアルミニウムイオンがアジサイに吸収されやすくなる。そうすると花びらは青色を呈す。
逆に、土壌がアルカリ性だとアルミニウムイオンはとけにくいので赤色になる、というわけだ。
日本の土壌は酸性が多いため、公園など地面に直に植えられているアジサイは青色が多い。アジサイを鉢に移し替えたりその逆をすると花びらの色が変わるのは、土の酸性度やアルミニウムの含有度が異なるためである。
だが、アルミニウムや土壌の酸度とは関係ない色の要因もある。それは品種によって決まっている遺伝的なものだ。
「助色素」というものがアジサイの細胞内に存在する。これはアントシアニンの色に影響を与える透明な物質だ。この助色素の割合によって花の色が変わってくる。助色素の量は遺伝的に決まっているため、赤系統、青系統のアジサイが存在する。ただ、アルミニウムを過剰に与えればやはり青っぽくはなる。
なお、白いアジサイは色素をもたないため、色が変化することは無い。
ちょっと難しい話だったが、アジサイが咲く季節になったら、花を見ながら色が変わる仕組みを思い出してみるとよいだろう。
赤い植物はどうやって光合成する?
一般に植物は、太陽からの光エネルギーを水と大気中の二酸化炭素によってブドウ糖などの炭水化物に変換することができる。 これが光合成と呼ばれるプロセスだ。
ご存知のように、光合成は「葉緑素(クロロフィル)」によって行なわれる。植物の葉が緑色なのは、この葉緑素が緑色の光を反射するからだ。 植物の緑色は、その植物が光合成能力を持つというしるしと言える。
しかし、中には葉っぱが緑色ではない植物も存在する。 すぐに思いつくのは赤ジソだが、写真の紫キャベツもそうだ。赤ピーマンはそれこそ真っ赤だし、アカカタバミも葉から茎まで紫色をしている。 また、モミジやビヨウヤナギのように、元は緑色でも紅葉する種類はどうだろう。紅葉した葉も光合成できるのだろうか?
まず、葉が赤いといっても、その程度は様々だ。アカカタバミは濃い紫色になるものもあれば、少し赤みがかった程度のものある。シソにも、元は緑の葉っぱだが、一部が薄い紫色をしているものがある。
これらの植物の場合、葉緑素は普通の緑色の葉と同じだけ存在し、そこに赤色の色素が加わっているために赤や紫に見えていると考えられる。
実験でアカカタバミの光合成を調べると、やはり普通に光合成ができている。赤ジソの実験でも同じだ。どうやらこれらの植物の場合、葉に赤い色素が加えられていても光合成の効率にはほとんど影響がないらしい。
ちなみに、スイカの実の黒いシマシマ部分も立派に光合成能力を持っている。
ところが、赤キャベツや赤ピーマンは話が違う。実はこれらの植物の赤い部分には葉緑素が存在せず、ほとんど光合成をしないのである。
店で売られている赤キャベツには緑色の部分がないように思えるかもしれない。しかし畑などで生育しているときには、緑色の開いた葉が回りにあり、赤いのは中央の「玉」の部分だけなのである。
これは赤ピーマンも同様で、葉っぱに頼って光合成を行ない、実をつけるのに必要な養分を得ている。
では、実で光合成をできない赤ピーマンよりも、緑のピーマンのほうが栄養があるのだろうか。
赤いピーマンでも立派に成育している以上、養分は十分に足りていると考えられる。実が緑のものは、補助的に「実でも光合成ができる」が、できないからといって栄養価が落ちることは気にしなくてよさそうだ。
最後に、紅葉した葉の光合成について。 紅葉では、徐々に緑から赤や黄色に葉が変色していく。これに伴い、緑の部分が減るにつれて葉緑素は分解が進み、光合成の能力も減少してゆく。最終的に落葉する状態のときには、光合成はまったく出来無い状態になっている。
植物の光合成はまさに驚異のシステムである。 人工の光合成システムは科学者にとって大きな夢であり、盛んに研究が行なわれているが、植物と比べるとその変換効率は雲泥の差である。
最新のナノテクでは髪の毛一本の上にジャングルジムを作ることさえできるが、それほどの技術力をもってしても、これほどに効率のよいエネルギー変換システムは作れていない。
だが、こうした機能を顕微鏡でなければ見えないほどの生物が備えていることを考えると、その精妙さには脱帽するばかりである。
ポマトはなぜ広まらないのか

一頃、大きな話題をよんだ「ポマト」をご存知だろうか。
ポテトとトマトを合体させた植物で、地下にはジャガイモ、地上にはトマトができる。一石二鳥の夢のような植物だということで、もてはやされた時期があった。
ポマトは「細胞融合」という手法を用いて開発された。
細胞融合とは、異なる生物の細胞同士を人為的に合体させて、両方の染色体を持つ新しい細胞を作ること。 この方法を使えば全く種類が違う細胞同士の交配も可能になる。 しかしトマトとジャガイモはナス科の植物。近縁種なので比較的簡単に融合が成功した。
細胞融合で作られた植物には、オレンジとカラタチの「オレタチ」、ハクサイとキャベツの「バイオハクラン」などがある。
一見、いいことずくめに思えるポマトだが、園芸センターなどで売られていることは全くない。もちろん、デパートに並んでいることもない。 実際、ポマトはほとんど絶滅してしまっている。なぜこんな便利な植物が広まらなかったのか?
確かに、ポマトにはジャガイモとトマトの両方の遺伝情報が含まれている。
だが、実がトマトで地下茎をジャガイモにする、などということまでは制御できないのだ。 ポマトから取れるトマトはミニトマトより小さいし、ジャガイモも食用にはとてもならないレベル。 大体、一本の苗でトマトの実とジャガイモを作ろうとしたら、養分が足りなくなってしまうのは目に見えていることだ。むしろ実が収穫できればいいほうで、実際の所は、実用性など全くない植物だったのだ。
そんなわけで姿を消してしまったポマトだが、「なんちゃってポマト」なら手軽に作ることができる。
ジャガイモの茎を根に近い所からV字型に切り、それに合うように切ったトマトの茎を接ぐ。接いだ部分をテープや布などで固定する。 温度と湿度が高く、薄暗い所に植えると2週間ほどでつながる。
すでに実がついたものならホンモノ以上にホンモノのポマトに見えるだろう。 ガーデニングの片手間に、挑戦してみてはどうだろう。
種無しスイカの作り方は?

やはり夏はスイカである。 トウモロコシや新鮮な野菜も捨てがたいが、塩を少量ふりかけながら食べる冷たいスイカは何物にも変えられない。
スイカを食べないと、「夏がきた」という実感がどうしても薄いものである。
できることなら大口開けてむしゃぶりつきたいスイカだが、食べてるときにどうしても気になるのが種だ。中には気にせず飲み込んでしまうという豪な方もいるが、普通は面倒ながらも取り除くだろう。
だが、市販されているスイカの中には「種無しスイカ」というウソのようなスイカが存在する。一体これはどうやって作られているのだろう。遺伝子操作でもしているのだろうか?
いやいや、実はかなり地道で長い時間をかけてこのスイカは作られるのである。
まず、種がある普通のスイカは、遺伝の性質を決める染色体が二組ある「二倍体」と呼ばれるものだ。対して、種無しスイカは染色体が三組ある「三倍体」という、種を作る能力を持たない特別な種類である。種がないので当然三倍体から三倍体のスイカは作れない。そこで二倍体のスイカを何とかして三倍体にするのだが、これにはなんと三年もかかるのである。
まず一年目には普通の二倍体の種をまく。双葉が開いたときに、コルヒチンという染色体の数を倍にする作用を持つホルモンをかけて育てると、四倍体の染色体を持つ種ができる。
二年目は、四倍体の種を育て、雌花に二倍体の雄花の花粉をつけると、三倍体の種ができるのである。
そして三年目、三倍体の種をまくことによってようやく種無しスイカが収穫できるのである。
あまりに手間がかかるため、現在はなかなか入手困難なスイカだが、運良く見つけたら是非買って見るといいだろう。 そのスイカを作るのにかかった労力を考えれば、自然とありがたみがわいてくるというものである。
ヒョウタンはどうやって中をくりぬくのか?

ヒョウタンの独特なカタチに妙にあこがれた、という方はいないだろうか。なぜか私は、小さなヒョウタンの唐辛子入れなんかが欲しくなってしまう。
実用的な意味は現代となってはほとんどないが、あのカタチはなんともユーモラスで和み心を与えてくれるのだ。
外国の昔話にはヒョウタンのエピソードがよく出てくる。 例えば「シンドバッドの冒険」ではヒョウタンにぶどう酒を作って入れておくシーンがあるし、「西遊記」では返事をすると中に吸い込まれてしまうヒョウタンが登場する。 聖書の中にも、ヨナという人物の上に神が日よけとしてヒョウタンを生えさせる描写がある。日本のことわざにも「瓢箪から駒」というのがある。
かようにヒョウタンは、古来から人々の生活に密着した植物だったのだ。
だが、ふと考えてみるとあのヒョウタン、実がついているときは中身がギッシリ入っているはずである。では一体どうやって中を空洞にするのだろうか?まさかドリルか何かでくりぬくのか?
もちろんそんなことはない。容器としてのヒョウタンの作り方は、こうだ。
まず、開花して5、60日経って皮が硬くなったものをつむ。そして実とつながっている茎の部分を切り落とす。 そして切り取ったヒョウタンを1〜2週間水につけ、内部を腐らせ、種や果肉を取り出す。ヒョウタンの中は柔らかいので腐るが、表皮は腐らないのだ。 あとはよく乾燥させ、表面にウルシやニスなどを塗れば出来上がりである。 容器として完成させたいならば口に合うコルク栓などを見つけて買ってくればよい。 また、紐をつけてやると装飾品としての貫禄も出る。
古来、ヒョウタンは日本の夏の風物詩だったという。ツルを伸ばして高く生育するので、日よけとして利用価値があるのだ。また、果実はわかいうちは食用になり、エキスには美容効果がある。火にかける以外はあらゆることに利用できる、万能的な植物といえる。
ヒョウタンの栽培は特別難しいというわけではない。庭で挑戦してみるのも一興だ。実が収穫できたら、容器にして来客にでも差し上げたらどうだろう。きっと喜ばれるに違いない。
ウルシかぶれのメカニズム

ウルシ。漆。 中にはこの文字を見るだけで体が痒くなってくる、という方もおられるかもしれない。ウルシは漆塗りなど用途が多く、なくてはならない有用な植物だが、多くの人に敬遠されている。そう、かぶれるのである。その影響力は侮れず、場合によっては漆器や天ぷらにした新芽のせいでかぶれることもあるという。
幸い私はウルシかぶれというものを経験したことはないが、被害者の証言によればそれはそれは悲惨なものらしい。 顔をやられれば顔がパンパンに腫れ、まぶたが開かなくなる。また痛くて痒くてたまらず、こうした症状が一週間強ほど続く。
しかし、ウルシに触るとどうしてこんなことが起こるのか?
一口にウルシというが、一般にはウルシ科の植物全般、または一部の種を指す。日本に自生しているものは、ヤマウルシ、ツタウルシ、ハゼノキ、ヤマハゼ、ヌルデがあり、ヌルデを除いて※1全てかぶれる可能性がある。またニワウルシというものもあるが、こちらはニガキ科の植物で別物。もちろんかぶれない。ハゼノキは紅葉が美しくなるため、公園内や街路樹としてよく植えられている。毒性※2は強くないようだが、かぶれやすい体質の人は注意が必要だ。
さて、かぶれは専門用語で「接触皮膚炎」特にウルシによるものは「アレルギー性接触皮膚炎」と呼ばれる。接触皮膚炎は刺激性によるものとアレルギー性のものに大別でき、ウルシはアレルギー性である。
アレルギーというのは、人間の持つ免疫機構が過剰反応して身体に悪影響を及ぼすこと。具体的には、アレルギー反応を示す原因物質(アレルゲン)と一定量以上接触すると起こる。おなじみ花粉症などはそのいい例といえる。 ちなみに、ウルシかぶれのアレルゲンは、そのものズバリ「ウルシオール」という。
ここで気がつくのは、ウルシそのものに毒性があるわけではない、ということ。花粉症にしても、花粉が鼻水などの症状を引き起こすのではない。あくまでそれに過剰反応した身体が起こすのである。 ウルシでも初めて接触した人はひどくはかぶれないことが多い。免疫がまだできておらず、ウルシオールを無視している状態にあるからだ。ところが、2度3度と接触すると、これに反応するようになってくる。しかも、一旦かぶれると次からはますますかぶれやすくなるという悪循環に陥ってしまうことがある。
野山散策をするときは充分に注意を払いつつ、楽しんでいただきたい。
※1ヌルデにもかぶれの原因物質が微量ながら含まれているらしい。が、無害といってもいいレベルのようだ。
※2後述したようにウルシに「毒性」があるわけではないが、便宜上この表現を使用した。
写真提供:BotanicalGarden様
秋になると葉の色が変わる理由


秋といえば紅葉。紅葉といえば紅葉である。・・・コウヨウとモミジは同じ漢字を書くのでややこしい。 秋といえばコウヨウ。コウヨウといえばモミジ、と書いたつもりだ。
だが、紅くなる葉のことは紅葉でいいのだが、イチョウなど黄色くなるものについては「黄葉」と呼ぶ。読みはどちらも「コウヨウ」なのでモミジを見てもイチョウを見ても「コウヨウが綺麗だね」と言えるわけである。 最近は両方ひっくるめて紅葉と呼んでいるが、赤と黄で漢字が違う事は一応知っておきたい。
ところで、上のイラストの我々が普通にモミジと呼んでいる植物は、正しくはモミジという名前ではない。実はこれがカエデなのだ。モミジは元来秋に紅葉する植物の総称である。中でもカエデが美しく赤くなるのでいつの間にかカエデ=モミジと呼ばれるようになったのだ。 昔から「もみじがり」という言葉があるが、これは一種類の植物ではなく紅葉する植物全体を指して使われた語である。
さて、このように秋になると葉の色が変わる。この赤や黄色がなんとも趣きのある色合いで、日本に生まれてよかったとしみじみ思う季節でもある。
秋に紅葉(黄葉)する植物は先に挙げたカエデのほかにコナラ、ヤマザクラ、イチョウ、ポプラ、ヌルデなどがある。これらはみな落葉樹で、秋から冬にかけて葉が落ちる。日照時間が短くなり根の働きが弱って養分を得る事ができなくなるからだ。お荷物になる葉を捨ててしまおうという訳である。 そして紅葉また黄葉する謎はこの落葉と密接なつながりがある。
紅葉と黄葉ではその仕組みが若干違うのだが、それは色素の違いで基本的には同じだ。
まず葉っぱが緑なのはご存じ葉緑素が含まれているため。 落葉樹は葉を落とす前になると、葉と枝の間に離層という水分を通さない層を作る。 これによって葉には養分がいかなくなり、葉緑素が壊れ始める。すると葉の中にあった糖分からアントシアニンという紅い色素が作られ、これによって葉が紅く変わるのである。
黄葉も葉緑素が壊れる所までは同じ。ただ、それまで葉緑素に隠れて見えなかったカロチノイドという色素が見えはじめ、黄色く見えるのである。
落ちた葉は一見なんの役にも立たないように思えるが、さにあらず。木や動物の大事な栄養になっているのだ。特にカロチノイドを含む葉っぱはビタミンAを合成する原材料ともなる。落ち葉は栄養満点なのだ。 自然界とは実にうまくできているものである。
今度の秋、紅葉を眺めるときにはこんなウンチクを傾けるのもいいかも知れない。おっと紅葉とは限らない、黄葉もあるんでしたね。
大根が白いのは何故か

ニンジンが赤いのは紅葉のところででてきたカロチンのためである。 では大根が白いのはなんという色素によるものだろう?
実は、白い色素を持った植物というのは天然には存在しない。白ユリなど白い花もあるじゃないかと思われるかもしれないが、あれは薄いクリーム色で純粋な白というわけではないのである。
大根が白いのは雪や雲、曇りガラスや割れたガラスが白く見えるのと同じ理由による。
雪も雲もガラスも、それ自体は無色透明でなんの色も付いていない。しかしその細かな粒が沢山集まると、その粒同士で光が乱反射される。そのせいで白く見えるのである。
大根もこれと同じ。大根の繊維自体は色が付いていなくてもそれが集まることで白く見えてしまうのだ。
雪を水に入れると透明になってしまう。これは雪の中に水が入り込んで、光の乱反射をなくすからである。また曇りガラスの表面にセロテープを貼ると中の様子が丸見えになってしまう。曇りガラスに付いている凸凹にセロテープののりが入り込み凸凹をなくしてしまうからだ。 同じように大根もおでんなどにするために煮ると透明度が高くなる。水が隙間に満遍なく染み渡っているからである。
ところで大根は白いとは限らない。ハツカ大根には赤いものと白いものがあるし、ほかにも赤いものが結構あるようだ。 食卓に上がるのは大体白で、たくわんやおでんなども普通白大根を使う。でもちょっと変わった色の料理を作ってみたいと思ったら赤大根を使うのもいいかも。赤っぽいたくわん、おでんなんて食欲が湧いて…こないか。
彼岸花に毒があるといわれた本当の理由


私の好きな花は彼岸花である。 悪趣味と思われようが、彼岸花が好きである。このページ
(植物の研究)の壁紙も昔は彼岸花だった。あれほど怪しく美しい魅力をたたえた花は他にない。ひたむきに紅く、寂しく人気のない場所にごく短い時期だけ咲く。なんとも言いようのない寂寥感。花言葉は「悲しい思い出」―実に美しく悲しい言葉ではなかろうか。
この花はまた名前も多彩だ。彼岸花、曼珠紗華、死人花、幽霊花、剃刀花、灯篭花、捨子花、天蓋花、鬼首花・・・地方によっていろいろな呼び方があり、一説には全国で一千を超えるという。 これほど多く呼び名があるのも人々が不気味に思いながらも魅力を感じてきた証だろう。
曼珠紗華という名はもともとインド語で天上に咲く花を意味する。見るものの心を柔軟にする花だという。これほどの名が彼岸花に与えられているのも興味深い。
また彼岸花には毒がある。これも有名な話である。毒があるから彼岸花に触ってはいけないと教えられた方もおられるのではないか。 そう、確かに毒がある。しかしこれは「わざと」人々に流布された策謀なのである。
実は彼岸花は飢饉のときの非常食となっていた。彼岸花の毒は水にさらせば簡単に抜く事ができる。デンプン質が豊富で栄養価も高い。また球根をすりつぶせば薬にもなり、非常に重宝な薬草ともいうべき植物なのだ。 しかし彼岸花は繁殖力が弱く一度摘まれるとなかなか生えてこない。そのため、「彼岸花は毒だ」と言い伝えてよほどの事がない限り手を付けさせないようにしたのである。
怪しく、美しく、不気味で誤解されてきたが実は人々の最後の頼みの綱となっていた彼岸花。 あなたにこの妖艶な植物の魅力を少しでも判って頂けたなら幸いである。
オスの木とメスの木

多くの植物はおしべとめしべが同一の株にあり、自己受粉して子孫を増やしていく。
だが雄花と雌花が別々の木にある場合もある。これが「雌雄異株(しゆういしゅ)」と呼ばれるもので、つまりオスの木とメスの木が存在するのだ。 有名なものではイチョウがそうだ。イチョウは秋になるとギンナンという実をつけるが、あれはメスの木だけ。
雌雄異株の木は意外と多い。よく見られるものではヤナギやクワなどがそれ。クワのメスの木はドドメといわれる甘い実をつける。夏ごろに実っているのを見かけた事がおありだろうが、これが実にうまい。黒くなったものが食べごろで、赤や緑のものは早すぎる。食べたあとは手に色がついてしまい、多少落ちにくいがあのうまさには代えられないだろう。・・・ 話がそれてしまったので元に戻そう。 雌雄異株の木は月桂樹、サネカズラ、藤、メグスリノキなど結構ある。寄生植物のヤドリギもそうだ。これらは基本的にオスメス別の木だが、まれに同株になることもある。
普通メスの木の方が実をつけたり香りがよかったりと利用価値が高いので重宝される。が、数もオスに比べると少ない場合が多い。
植物に限らず、動物界でも一般的にメスのほうが大きく力も強い。 やはり女は強い、ということなのだろうが、人間社会も今は女性が強い強い…
スイカは野菜か果物か

照りつける夏の日差し。熱い太陽。立ち昇る陽炎。麦わら帽子に虫取りあみの子供たち。姿を見せぬセミたちの大合唱。
そして、縁側に蚊取り線香とよく冷えたスイカ。お父さんはこれでビールがあれば最高である。
スイカの原産地はアフリカのカラハリ砂漠で、日本へは16世紀ごろ中国経由で渡来したといわれる。 中国つまり西方からきた瓜ということで「西瓜」の字が当てられる。現在栽培されている甘味のあるものは明治時代から品種改良重ねて作られてきたものだ。 普通は吐き出す種も食べられ、フライパンで炒めて皮をむいて中の白い部分を食べる。中国料理にも使われている。
さて、西瓜は野菜か果物かという論争はあちこちで見られさして珍しいものではない。 甘味があって庶民の代表的「果物」ともいうべきスイカが実は野菜だとしたら、ちょっとがっかり(?)である。
しかしスイカは野菜に分類するのが正しいだろう。果物と野菜の違いは果実が樹になるか地面に這ってできるか、といわれる。 甘味があって樹になるものが果物だとしたら、スイカはこの範疇から外れ野菜である。 それにスイカはウリ科の植物。ウリを果物という人はいないだろう。こう考えればスイカを野菜と定義するのは致し方ないといえる。
普通果物とされていても実は野菜というものはメロンやイチゴなどスイカの他にもある。
結局の所これらはたまたま「甘い野菜」というだけのことなのである。
夏はスイカの他にもキュウリやとうもろこしなど、野菜がおいしくなる季節でもある。 冷えたキュウリに生味噌をつけてガブリ、なんていうのも乙なものかもしれない。
「曲がったキュウリは無農薬」は疑わしい

スーパーの食料品売り場や八百屋などに行くと沢山の野菜が所狭しと並んでいるが、中でも人気のある野菜がキュウリ。 サラダにしてよし、漬物にしてよし、そのまま切って出すもよしとお母さんにとっては何かと便利な野菜なのだ。
ところでこのキュウリ、まっすぐなものがほとんどで、三日月のように曲がったキュウリなんてまず見かけない。 しかし一昔前の自然食ブームのときには「まっすぐなキュウリは農薬を沢山使っている」といううわさが流れ、曲がったキュウリがもてはやされた時期があった。今でもそう思っている方もおられるかも知れない。
だが、農薬を使わないで有機栽培で作られたキュウリが曲がっているとは限らない。というのは、形が悪いのは農薬を使わないからではなく、実をつけるときの栄養がかたよっていたため。 曲がっているかどうかで有機か無機かの判断なんてできないし、ましてや農薬がどれほど使われてるかの目安にもならない。 判るのはそのキュウリの品質が悪いというだけのことである。有機栽培でもきちんと作ればまっすぐなキュウリができるはずなのだ。 だからまっすぐなキュウリでもなんら心配することはなく、むしろ曲がったキュウリを買わないようにすべき。
ただし、最近では形をよくするためにオモリをぶら下げることもあるというから、念のため。
甘柿と渋柿の見分け方

売っているものならともかく、人からもらったりこっそり失敬してきた柿を食べるのはある意味賭けである。 甘いか渋いか、正にロシアンルーレット。甘けりゃ天国渋けりゃ地獄。柿は喰いたし舌は惜しし。切って皮をむいたはよいが口に入れる決心がどうにもつかない。結局家族の誰かを騙して人柱に立てたりする。 ぜーんぶ甘柿ならいいのに、一体どうして渋柿なんてものがあるのだろうか?
食べるときには渋はいやなものだが、実は結構有用なのである。渋みの原因は果実の中のタンニン細胞にあるシブオールという物質。名前からして渋そうだ。シブオールが果実の中で溶けた状態だと渋みが発生する。つまり甘くするにはシブオールをなくすか溶けなくしてしまえばよいわけで、よく熟成させるとこの物質は大概無くなってしまう。 もともと大体の柿は渋柿なのだ。 そしてこの渋は昔は雨傘や渋紙など防水や防腐に使われ、今では主に染料として利用されている。
さて、気になる見分け方だが、これは切って見るまで判らない。いや、種類によっては切っても判らないことがある。 しかし一応「これは多分甘いよ」という目安はある。
それは柿の切り口に黒い粒々があるかどうか、ということ。粒々は不溶性になったシブオールが固まって見えるもので、これがあると渋みが少ないことを意味する。 だが、この斑点が全くないから必ず渋いというわけでもなく、ここが難しい所だ。要するに黒い斑点は甘いことの「お墨付き」だと考えればよいだろう。 そしてお墨付きのないものは…やっぱり誰かを人柱に立てるしかない?
秋に咲くサクラ

さだまさしの歌にもあるが、秋桜と書いてコスモスと読む。
だが秋に咲くサクラと言ってもこのコスモスのことではなく、文字通りの「桜」である。桜は春に咲くのが当たり前だが、ごくごく稀に秋など季節外れに咲いて、人々を驚かせる事がある。「狂い咲き」と呼ばれる現象だ。 寒い地方なら5月に桜が咲くのは珍しいことではないが、9月、10月といったらどうだろう。明らかに異常事態である。
植物に花を咲かせるよう命令するのは開花ホルモンである。 開花ホルモンは一定の条件が満たされると発動するようプログラムされている。 その条件とは、厳しい低温を経験しその後温暖になるというもの。つまり、冬の寒さを経験する必要があるのだ。
だが寒いのは冬ばかりではない。秋にも冬なみに冷え込む日が何日か続くこともある。そしてその後春のように暖かくなると、開花ホルモンの発動条件を満たしてしまい、狂い咲きすると考えられている。
「狂い咲き」というとなにやらロマンチックな響きがあるが、なんのことはない、桜は素で間違えているのである。
竹は草?それとも木?

「肥後守(ヒゴノカミ)」というナイフをご存知だろうか。最近はほとんど売られていないが、昔(というとお父さん方から怒られそうだ)の子供たちはみなこのナイフで竹を切って竹とんぼを作ったり水鉄砲を作ったりしたものだった。 今は「子供にナイフなんて、とんでもない」という親が多いが、当時はナイフを使った少年犯罪などまずなかった。正しいナイフの使い方を知らないで育った若者の方が、むしろ凶行に走るのではなかろうか。
さて、「竹林が敷地にあれば生活に必要なものは皆足りる」という言葉があるくらい竹は有用な植物である。前述のようにおもちゃにもなるし、食器や籠を作ったりすることもできる。動物は来るし、夏は涼しい木陰を提供し、冬は風除けとなって寒さを和らげてくれる。 熱帯では竹で橋やいかだや家まで作る。 竹は人に最もよく利用されている植物と言っても過言ではない。
このように私たちと深いかかわりのある竹だが、ふと素朴な疑問がわいてくる。竹は木なのだろうか、もしかすると草ではないか? 電線よりも高く成長し、アスファルトの地面を砕いて根を張る竹の力は草とは思えない。しかし、幹が緑色の木なんてアリだろうか。 「木」「草」の定義を確認する必要がありそうだ。
実は木や草の定義も確固としているとは言えない。 まず「木」だが、これは「草」に対応する言葉で、正確には木本(もくほん)植物という。そして木質の幹を備えている事が条件なのだ。
対して「草」は簡単にいってしまえば柔らかい植物のこと。なんとも曖昧であるが、仕方ない。 竹は柔らかいともいえるししなやかながら硬いともいえる。だが「木質の幹」を備えているとはいえない。加えて、竹は実はイネ科の単葉類に属する。イネ科の単葉植物、つまり草というのが竹の正体である。
バナナに種がないのはなぜ?

以前友人との会話の中で、「バナナで最初に滑った人は誰か」という話題が出た事があった。恐らくアメリカコミックが発祥だと思うのだが、機会があったらこの謎も探ってみたい。
まあそんなバカバカしいことはともかく、栄養があってダイエット食としても人気があり、嫌いな人はかなり少数派だと思われるバナナ。
この果実には種がないように見える。 だが、バナナを切ってみると黒い斑点があるのが判る。実は、これがバナナの「種」正確には種の名残なのである。 現在栽培されている「種のない」バナナは品種改良を重ねて作り上げられたものなのだ。だからこのバナナは自分で繁殖することはできない。
ではどうやって増やすのか? それは挿し木によってである。
我々が食べるバナナは食べやすさの替わりに繁殖力を犠牲にしているわけだが、改良が進むと「踏んだとき滑りやすい皮を持つバナナ」なんてのもできたりして。
世界一大きい花、葉


どんなものにも世界一がある。身長に世界一があり、体重に世界一があり。あらゆるものの世界一の中で目立つのはやはり大きさだ。 世界一大きな靴とか凧とか、ギネスブックにはいろんな大きさ世界一が載っている。 では、世界一大きな花はなんだろうか?それに世界一大きな葉は?
全世界からめでたく世界一大きい花と認定されているのは、インドネシアなどに生育するラフレシアだ。大きなラフレシアはさしわたし1mにもなる。 だが天はニ物を与えずというが、この花は悪臭がして※見た目も赤地に白の斑点とグロテスクだ。 おまけに寄生植物で根も葉もない。根も葉もないが噂ではなく実在の植物である。 だがこの花は日本ではまずお目にかかれない。なにしろ存在そのものがレアだし、何十年に一度しか花が開かないこともあるのだ。だからたまにラフレシアが開くと大ニュースになるのである。 もっとも、開いた花が標本として展示されている場合もたまにある。 更にレプリカなら各地の博物館で公開されてるから、一度見てみるとよい。
世界一大きな葉は、満場一致でオオオニバスである。オオオニバスはブラジル原産のハスの仲間。池などに浮いているスイレンをバカでかくしたものと考えていただければよい。 2mにもなる巨大な葉で、浮力が大きく子供が乗っても沈まない。
日本でも各地の植物園などで栽培されているから見るのはそんなに難しくない。子供を葉に乗せるイベントもちょくちょく行われる事があるので、お子さんを連れて出かけてみるのも面白いだろう。
※小さいものなど場合によっては臭いがしないものあるようだ。
写真提供:ラフレシア-ラフレシア見学日記 オオオニバス-水生植物ホームページ
トリュフの意外な採り方

世界三大珍味といえば、キャビア、フォアグラ、それにトリュフ。キャビアはチョウザメの卵でフォアグラはガチョウの肝臓。トリュフは西洋松露(セイヨウショウロ)科の地下生キノコである。
古代ローマ時代からトリュフは高価な珍味とされ、特に南フランス産のチュベル・メラノスポルムいわゆるペリゴール・トリュフは食用キノコの中で最も価値の高いものである。
まあ私には恐らく一生縁のない食材の一つだろうが、このトリュフなかなか面白い採り方をする。
トリュフはマツタケと同じく人工栽培が不可能で、正に珍味の名にふさわしい。 つまり天然のものを地道に捜すしかない。 そこで、地中に埋まったこのお宝を見つけるのになんとブタを使うのだ。 トリュフは独特の強い香りがあるので嗅覚の鋭いブタ、最近は犬なども使って探し出すのである。もちろん訓練されているので見つけたお宝をブタがムシャムシャ、なんてこともない。…多分。
このトリュフ、フォアグラのパテの中に埋め込んで使われるそうだ。高そー。。。
まあ、私はシイタケの塩焼きで充分である。トリュフなんか、トリュフなんか…!
一度は食べてみたい…
オジギソウは麻酔で眠る!?

礼儀の崩壊が嘆かれる中で、ぜひ見習いたい植物がある。そう、オジギソウだ。
別に礼を以っておじぎしているわけではないだろうが、この植物はその不思議な習性のゆえに多くの人々を魅了してきた。
チョンと触れると瞬間葉が閉じる仕草は食虫植物のそれを彷彿とさせる。 しかしもちろんオジギソウは食虫植物ではないし、何のために葉を閉じるのだろうか?
一説にはオジギソウは熱帯地方原産なのでスコール(大雨)で葉が傷付くのを防ぐためだといわれる。また虫を防ぐ効果もあるという。が、実際なぜ閉じるのかは「わかっていない」のが現状だ。 でも刺激を受けてから葉が閉じるまでの仕組みは解明されつつある。
今まで葉に刺激が加わると葉の中の水が移動するということまでは判っていた。しかし近年の研究で、刺激が加わる→電気信号が発生する→可動部に信号が伝わる→その部分の水が移動し、おじぎ運動が起こる、というプロセスを経ている事が判明してきたのだ。 しかも、オジギソウは麻酔ガスであるエーテルに反応、電気信号が伝わらなくなることも判った。当然おじぎはしない。植物に麻酔が効いているということで、動物の神経伝達の仕組みと酷似していることを予想させる。
おじぎするだけでも面白いのに麻酔が効くとなると更に興味深い。手に入りにくい植物ではないので、皆さんも是非研究してみてはいかがだろうか。意外と大発見につながるかもしれない。
食虫植物の秘密

食物連鎖ピラミッドでは植物は底辺に位置し、虫などの動物はそのすぐ上に位置する。 だが、そのピラミッドを覆す植物が存在する。そう、食虫植物である。
食虫植物は葉緑体があり普通の草花と同じように光合成をする能力をもちながら、岩場や湿地など条件が劣悪な所にも生育する強さを備えている。 充分な養分が得られない地面でも生きていけるように狩をするのである。
食虫植物の中でもっともポピュラーなものは恐らくハエジゴクとモウセンゴケだろう。ハエジゴクはトゲのついたキャッチャーミットのような葉を持ち、甘い匂いのする汁を出す。これに引き寄せられて来る虫が葉に触れると、バクリ。一巻の終わりである。葉の中の虫は消化液によってジワジワと溶かされ、吸収されてしまう。干からびてカラカラになった死体は風でどこかへ運ばれ、再びその恐ろしい口を開く・・・というわけだ。
モウセンゴケの捕虫部は綿棒に更に細かい繊毛が生えたような形をしており、その繊毛にねばねばがついている。このねばねばの輝きに引き寄せらてきた虫がちょっとでもかすると、もう逃げられない。溶かされるのを待つのみである。 虫を沢山消化したものほど大きくなるというからなんだか怖い。大きさはどれだけ虫を食べたかの証、大きくなればまた更に多くの虫を捕れるというわけだ。
さて、食虫植物は次の5つの捕虫法がある。
1:鳥モチ式 繊毛の先端に粘液を出し虫を絡めとるタイプ。食虫植物の中ではもっとも数が多くポピュラーな方式。 虫が暴れるほどに粘液が削れ消化液が出る。
モウセンゴケ、ムシトリスミレ、イシモチソウなど。
2:罠式 通りかかった獲物の足をバチンとはさむ罠に例えた言い方。二枚貝のような葉の間に感覚毛があり、この毛に2回以上触れると閉じるようになっている。一度だけでは閉じず、誤動作を防ぐ仕組みになっている。 ハエトリグサ、ムジナモ。
3:落とし穴式 消化液が入った壺のような葉をもち、葉のふちは滑りやすい。中に落ちた虫は胃の消化さながらに吸収されてしまう。ウツボカズラ、サラゼニアなど。
4:吸い込み式 主に水中のプランクトンや小虫などを捕る。 捕虫嚢の入り口には感覚毛をかねた剛毛に保護された開口部がある。小さな動物がこの毛に触れると捕虫嚢が瞬時に広がりその動物を吸い込んでしまう。 タヌキモ、ミミカキグサなど。
5:Y字管式(迷路式) 土中に逆Y字型の根を伸ばし、上の葉から入り込んだ虫を迷い込ませ消化吸収を行なう。この方法は極めて特殊で、ゲンリセアという植物一種しか行なわない。資料が少ないのでちょっと簡単に(いい加減に)書いてしまった。
食虫植物の中で簡単に自家栽培できるのはモウセンゴケかハエジゴクだろう。モウセンゴケの方が効率はいいが、うっかり服などにつくと欝になる。 ハエジゴクはあまり捕れないが逆に捕ったのを見られたときはかなり嬉しい。 皆さんも是非この植物の中の異端児をご家庭に置くことをお薦めしたい。何かと話の種にもなってくれること間違いなしである。
キノコは植物なのか

我々の食卓に上がるもののうち、キノコほど得体の知れないものもあまりない。 さほど珍しくないじゃないかと思われるかもしれないが、さにあらず。例えばコノワタは珍味だが、ナマコのはらわたということで正体ははっきりしている。だが、キノコとなるとどうも正体がよく判らない。そもそも植物なのだろうか?
山や木陰に生えるので植物という感じがする。しかし根も葉もなければ花もない。更に植物は光合成を行なうというのが一般的な定義であるが、キノコはそれすら行なわない。 とすると、キノコを植物とするには無理があるようだ。
実はキノコは菌類の一種、ぶっちゃけていえばカビの親類なのだ。
伝統的に菌類は植物の一つの門として分類されてきた。植物だが茎や葉をもたず、葉緑素も持たないという考えが一般的だったのだ。「カビは植物の仲間」という知識がある人もいるだろう。 しかし近年は植物とは全く別の「菌界」という新しい界に分類すべきだという見方が強い。つまりキノコは植物とは無縁の種、ということになる。
キノコの仲間は数が多く、世界で数千種も知られている。意外なことに毒キノコより食用になるキノコの方が数が多い。とはいえそれは毒性がないものを食用に分類した場合で、大多数のキノコは木質で硬かったり苦かったりとおいしくない。
梅雨時の悪魔ともいえるカビと、世界三大珍味のひとつトリュフが仲間・・・なんだか複雑な気分である。
竹の花が咲くとき

大体の方は竹の花をご覧になった事がないだろう。竹には花が咲かないと思っている人も少なくないに違いない。
それも無理のないことで、竹の花は60年ないし120年に一度しか咲かない種も珍しくないのである。 彗星のような花といえるかもしれない。
竹の花が咲くときは吉凶の前兆、多くは凶事の前触れとされる。というのも花が咲くと竹は枯れてしまうからだ。枯れる時はその場にある竹の集団全てがごそっと枯れる。
また、花が咲いたあと種ができてこれが落ちるが、その際にネズミが大量発生するという言い伝えもある。
開高健の「パニック」という作品にも竹の花が咲いたときネズミが大量発生したエピソードが含まれていたように記憶している。
竹の花の構造は大体がイネ科のそれと同じであるが、細かく見るとやや原始的なものと考えられる。イネと同じようなものだからさほど美しいともいえない。
朝出かける前に竹やぶを通ったら注意して見るといい。花が咲いていたらその日は用心すべきかも知れない。そう、なにしろ竹の花は凶事の前触れなのだから…
注:イラストの花は竹の花ではなくツバキのようだ。
寄生植物ってどんなもの?

寄生植物は他の植物の栄養を糧にして生育するタイプの植物の総称。宿主(正確には奇主)の植物にとっては厄介なお荷物である。寄生植物の中には自分で光合成をする能力すらなく他の植物から養分や水など全てを吸収しているものもある。
寄生植物として有名なものにはヤドリギやナンバンギセル、世界最大の花であるラフレシアなど。
ラフレシアはブドウ科の、主にシッサス属の蔓に寄生する。この花は子孫を残すための花以外は全て宿主に依存している。つまり完全寄生型である。葉や茎がないので光合成すらできない。 この方法は自分も肥大し大きくなれるが、宿主が枯れてしまうと自らの命もそこで終わりという危険も伴う、諸刃の剣といえる。素人にはお薦めできない。
寄生植物というとヤドリギがすぐに思い浮かぶかも知れない。日本のヤドリギはブナやケヤキ、クリ、サクラなど落葉広葉樹に寄生する。 寄生した木の枝にこんもりとした茂みを作り、40〜60cmないし1m近くになる。雌雄異株、つまりオスの木とメスの木がある。 粘り気のある果肉を持ち、実を食べにきた鳥に種子がくっついて他の木に運ばれ、そこで発芽・寄生する。 宿主の木の葉が落ちてしまう秋から冬にかけてはヤドリギの緑色が目立つので見つけやすい。 葉緑体を持っているので光合成ができ、完全寄生型に対して半寄生型と呼ばれる。
ナンバンギセルは完全寄生型で、ススキやサトウキビ、ミョウガなどの根に寄生する。ピンクがかった薄紫色の花をつけ、キセルの形にそっくりなので見つけやすい。日本全土に生育するので目にしている人も多いはずだ。
最近は人間も寄生とは無縁ではなくなってきたようだ。といっても人間に寄生するのはやはり人間で、親に寄生する未婚の子供すなわちパラサイト・シングルの増加である。
こちらも衣食住全て親に頼る完全寄生型とアルバイトくらいはする半寄生型があるのだとか。まあ、寄生生物もそれはそれで一生懸命生きていればいいのかもしれない。
注:イラストはヤドリギ
西洋タンポポと日本タンポポの見分け方


冬将軍がいつしか過ぎ去り、ストーブをつける回数も心なしか少なくなってきた頃、道端に目をやると黄色いタンポポの花が可愛らしく咲いている。(ああ、もう春なんだな)なんて思う季節である。
それからしばらくするとあのタンポポの背丈が随分伸びてきたのに気づく。そろそろ綿毛を飛ばし始めるものもいる。 そんな光景が見られる季節になったら、そのタンポポの種類を調べてみよう。日本には20種類ほどのタンポポがあるが、西洋タンポポとカントウタンポポ、いわゆる日本タンポポくらいは見分けられるようにしたい。
西洋タンポポはその名の通りヨーロッパから入ってきた帰化植物で日本全土に生育する。花期は3〜10月と長期にわたり、これも日本タンポポと見分けるコツだ。日本タンポポは3〜5月と春にしか咲かないのだ。つまり、この時期を過ぎても咲いているタンポポなら西洋タンポポとみて間違いない。 日本にある他の種、関西タンポポやシロバナタンポポの花期も同じだ。
しかし、西洋タンポポと時期の重なる春頃に見分けるにはどうしたらよいのか?そんなときは茎から花が出ている部分、総苞と呼ばれる箇所に注目してみるといい。ここを見ると西洋タンポポなら外皮が反り返っているのがわかる。反対にピタッとくっついているならばそれは日本タンポポである。
しかしほとんどの花は外皮が反り返った西洋タンポポだろう。日本タンポポは今とても数が少ないのである。 日本タンポポは虫を媒介して受粉を行なわなければならないが、西洋タンポポは単為結実といって受粉をしないで種を作る事ができる。おまけに種が小さく遠くまでよく飛ぶ。この辺が西洋タンポポの繁殖力の秘密だと考えられる。
タンポポはありふれた植物であまり花瓶に飾ることもないかもしれない。しかし野原に彩りを添える素晴らしい花である。 草むしりをする際に一緒にとってしまう前に、しばしご覧になっていただきたい。 つかんだ手を思わず離してしまう、そんな魅力がタンポポにはあるはずである。
驚くべき竹の生長

どうも竹の話ばかりで恐縮である。これで竹について扱うのは三度目になる。それだけ(スイマセン)竹というのは興味の尽きない植物なのだということだろうか。
竹の伸びが早いのはよく知られているが、実際その速度は想像を越えるものがある。 写真のモウソウチクは24時間でなんと120cm前後も生長するのである。モウソウチクに限らず、竹の仲間は一日1m以上伸びることも珍しくないのだ。 実に一時間当り5cmも伸びることになる。 竹の細胞は一秒間に約9万個の細胞を作って伸びていく。だがある程度に太くなると幹の成長は止まり、丈だけが長くなる。
「雨後のタケノコ」という諺があるように、雨の後は竹の生長が早いらしい。
いつかの名探偵コナンで、雨の後の竹の生長を利用してあらかじめ眠らせておいた被害者の首を吊らせて殺すというトリックがあったが、あの時コナンが「雨の後の竹は2m近くも伸びる」と言っていたような記憶がある。 一日で大人の身長を超えるほどに生長するのだから驚異的だ。
竹は全体が伸びるのではなく節ごとに伸びる。線引きで例えると全体がびよーんと伸びるのではなく、目盛りの間がそれぞれ伸びていくのである。その節もちゃんとタケノコの状態のときにできていて、数もほぼ一定している。タケノコを縦に切ってみると節が沢山あるのがよくわかるだろう。
しかし、竹がなぜこんなに一気に伸びる事ができるのかはよく解っていない。身長が伸びないと悩んでいる方には、竹はうらやましい植物かもしれない。
本葉が出てくると双葉は・・・

小学生の頃アサガオの観察日記を付けたという方は少なくないだろう。この行事(?)は今でも多くの小学校で半ば伝統的に行なわれているようだ。 プラスチックの植木蜂か花壇にアサガオの種をまき、ネームプレートをつける。子供心にいつ芽が出るかと気になって仕方がない。ある日小さな芽がポコリと土を押しのけて出てくると感激したものである。
ところでこのアサガオ観察の際に覚えた言葉が「双葉」と「本葉」ではないだろうか。アサガオの芽が出てしばらくすると二枚の葉がつく。これが双葉で、双葉の葉と葉の間から本葉が伸びていく。 しかし本葉が成長していくといつの間にか双葉がなくなっている。つまり枯れてしまうのだ。これは一体どうしたことだろうか?
実は種子の中にはすでに双葉の元が折りたたまれた形で入っている。根を伸ばしたり発芽させるためには栄養が必要だが、そのための養分は双葉の中に含まれているのだ。だから双葉は土中で光がない状態でも育つことができるのである。
双葉は本葉が生長するのに必要な養分を光合成によって作り始める。やがて本葉が充分に育ち、自分で光合成ができるようになると双葉はその役目を終え枯れてしまうのだ。 双葉が枯れるのは本葉が一人前になった証でもある。
双葉は自分の努めを果たすと本葉にバトンタッチし、ひっそりと我が身を終えてゆく。地上で光に当っていられる時間はそう多くないのだ。せめてそのわずかな期間くらい、タップリと水をあげて世話をしてあげたいものだ。
「植物は光が好き」はウソ!?

植物と光は切っても切れない関係にある。光を必要としない植物は一部の寄生植物などごくわずかしかない。
光は多くの植物にとって水や空気と同じように生育に欠かせないものなのだ。
だから当然植物は光が大好きで、太陽の方向にむかって伸びる。花も太陽の方に向かって咲く― と、一般にはこう思われている。もちろんこれはこれで間違いではない。だが、光がある方が植物の成長が早いかというと、その逆なのだ。実は植物は光がくる方向と逆の側に細胞が多く作られるのである。つまり陽の当らない陰になる部分の方が生長が早い。結果として陽を受ける方の茎が短くなるため、太陽の方向に引っ張られるのである。
水差しの花なんかを陽の当る所に置いておくとちゃんと太陽の方を向く。自然に生えている花は太陽の方が動いてくれるから問題ないのだが、室内では陽の射す時間が限られている。そのため放っておくと偏った伸び方をしてしまう場合があるのだ。一日か二日に一回ほど、花瓶の向きをくるりと一回転させてやるとよい。均一な生育が期待できるはずだ。
知っておきたい花言葉あれこれ


ちょっと誰かに花束を贈りたいとか誕生日に花を渡したいというときのために、花言葉を知っておくとよい。愛の告白にも花束はつきもの。贈る花の花言葉を知って、自分の気持ちをよく表した花を選びたい。
花言葉は多くの場合ギリシア神話や伝説、中国の故事に由来している。忘れな草の花言葉は「私を忘れないで」「真実の愛」だが、この花言葉のいわれを知っている人も多いだろう。
川のほとりに青い花を見つけた騎士が、恋人にその花を摘んであげようと崖下まで降りた。しかし急流にのまれ、流されながらも彼は恋人に花を投げた。その時叫んだ言葉が[Forget
me not](私を忘れないで)これが忘れな草の由来である。
このように花言葉にはそれにまつわる伝説がついている事が多い。それらを調べてみるのも面白いだろう。 では次に知っておきたい花と花言葉を幾つか挙げよう。
まずは一番ニーズが高いと思われる愛から。
「愛」そのものを表す花はバラ、赤いキク、スミレ、アイリスなど。バラは赤が熱烈な恋や愛を意味する。恋人に贈るなら赤かピンクがいいだろう。モスローズにも愛の告白という意味があるのでよい。
「恋」「幸せな恋」を意味するのはアンブロシア、ドラセナ、クチナシ。「恋の苦しみ」はアネモネ、とりわけ赤いアネモネである。またアサガオには「はかない恋」という意味がある。
「喜び」お礼の花を贈るときに使いたい花だ。カタバミ、カラジューム、サイネリア、ジャスミン、キキョウなど。「感謝」の意味をもつカンパニュラを贈るのいい。
「悲しみ」悲しいことがあった人を慰め共感を表すのに贈りたい花。イチイ、キンセンカ、クジャクヒバ。
「祝福」お祝いの花束には次の花を含めるとよい。ハボタン、ポインセチア、フクジュソウ。ポインセチアは鉢植えが適するので鉢ごとあげるのがよいだろう。
また、悪い意味を持つので贈るのを避けた方が無難な花もある。例えばアジサイには高慢という意味があるし、黄色のカーネーションには軽蔑という意味がある。
花言葉は覚えておいて損はない。花言葉の本を一冊買うか、サイトで調べてもよい。
大切な人には思いをこめたよい意味の花を、是非贈りたいものである。
いずれあやめかかきつばた

「いずれあやめかかきつばた」とは甲乙つけがたい可憐な女性に対して使われる言葉。美人姉妹を指すときなどによく言われる。
アヤメとカキツバタは共によく似ている花で、なかなか区別が難しい。アヤメは漢字で「菖蒲」と書く。ご存知の通りこれは「しょうぶ」とも読む。だがサトイモ科のショウブとは別の種類で、アヤメはアヤメ科である。ショウブも別名をアヤメというから更にややこしい。 また、ショウブはショウブでもハナショウブはアヤメ科で、こちらはアヤメ、カキツバタによく似ている。前述の諺の「あやめ」もハナショウブのことをさすと思われる。ちなみにサトイモ科のショウブは端午の節句のとき菖蒲湯に使われるものである。
分類の違いをおさらいすると、
アヤメ=アヤメ科アヤメ属。 カキツバタ=アヤメ科アヤメ属。 ハナショウブ=アヤメ科アヤメ属。 ショウブ=サトイモ科ショウブ属、となる。 では同属の3つの花の違いを調べよう。
まずアヤメとカキツバタの違い。アヤメは基部に黄斑があるとかカキツバタは先端が尖っているとかこまごまとしたことがよく挙げられるが、そんなもの覚える必要はない。
見分けるポイントはズバリ、生息地の違いである。これほどはっきりした区別はない。 「アヤメは乾燥地、カキツバタは水辺、湿地に生育する」これさえ覚えておけば大丈夫だ。どちらが乾燥地を好むのか忘れそうだというなら、「アヤカン」とでも覚えればよい。一方を覚えておけばもう片方は自然と決まる。
お次はアヤメ、カキツバタとハナショウブの見分け方。これも全く難しくない。
葉の葉脈を見ればよいのだ。アヤメ、カキツバタは葉脈が薄くハッキリしていない。対してハナショウブは太くハッキリした葉脈を持つのである。「ハナブト」と覚えよう。 ハナショウブは乾燥地、湿地のどちらでも生きることができるので生息地で見分けるのは難しいのである。
では最後にアヤメ科植物見分け方の総まとめ。
畑に栽培されているものや土手に生えているものはアヤメかハナショウブ。両者の違いは葉を見ればよい。 これ以外の、湿地や水辺に生えるのがカキツバタである。
ちなみに、アヤメの英語名はアイリス。ひょっとすると今はこちらの方が通りがいいかもしれない。
アヤメ属に共通する花言葉は「良い便り」である。忌中以外ほぼどんなときにもふさわしい花だといえよう。
身近に意外なバラ科の植物

リンゴ、モモ、サクラ、ナシ、ヘビイチゴ、ボケ、チングルマ、ワレモコウ、カリン、ヤマブキ、イチゴ、アーモンド、ビワ、カイドウ、ラズベリー。 これらの植物に共通するものはなんだかお解りだろうか。
実は全て、バラ科の植物なのである。バラというと美しいがトゲのある花を想像するが、これほど多くのバラの仲間がいるとは驚きだ。
もっとも動物でもタヌキはイヌ科の動物だったりと、意外な仲間がいることは少なくない。
バラ科の植物は大変に多彩で、世界中に分布しており約100属3000種もある。
バラ科の定義は専門的になるので割愛するが、簡単な特徴として大抵は複葉で5枚の花弁を持つというのがある。 またこの科は主に次の4つのグループに分けられる。
シモツケの仲間、サクラの仲間、いわゆるバラの仲間、そしてナシの仲間である。
サクラやリンゴ、ナシまでバラの仲間だと思うとなんとも面白い。
何かのネタの時、上記の植物から数個選んで「これらに共通するもの、なーんだ?」とクイズを出すと結構受けるかもしれない。 ただし、リンゴ、モモ、ビワ、イチゴなどを選んでしまうと「みんな食べられる!」ということになってしまうのでご注意。
サボテンはなぜトゲがあるの?

綺麗なバラにはトゲがあるというが、愛嬌はあっても美しいという基準からはやや外れている気がするサボテン。
うっかり触ってしまうと大変である。 ちょっと触れただけのつもりでもトゲは意外に鋭く、思わずびくんとしてしまう痛みを与える。
このトゲは実は葉が変化したもの。サボテンには葉が無い様に見えるが、ある意味トゲが葉なのである。
サボテンが生えているのは砂漠や荒地など雨が降るのが稀な場所が多い。そんな環境下でできるだけ水分を蒸散させないように、葉の面積が極めて小さくなっているのである。 また、他の動物に食べられるのを防ぐためでもある。
更にトゲで体に日陰を作り、強い直射日光から身を守る役目もしているのだ。
サボテンの茎が太いのも水を多く貯められる様にだし、根を浅く広く張り巡らして地表から水分を吸収できる様になっている。サボテンの生息地ではとかく水が重要なのだ。
サボテンのユニークな形を愛でるのも大いに結構だが、実は非常に厳しい環境に適応した植物であることも忘れてはいけない。 彼らは、我々が数日で息絶えてしまうような場所で何十年も生きることができるのである。