植物の研究

月下美人―なぜ一晩しか咲かないのか
和名が付けられた花の中には、粋なものがたくさんある。例えば「虞美人草」「紫式部」「綾波」「優曇華」「勿忘(わすれな)草」などなど。
素晴らしい名前の花は数あれど、中でも最も美しく優雅な名の一つと言えるのが「月下美人」ではあるまいか。 美しさと気品が字面から伝わってくるだけでなく、詩的で、語呂もじつによい。このネーミングセンスは見事という他ない。
花にあまり詳しくない方のために書いておくと、月下美人はサボテンの仲間で、サボテン科クジャクサボテン属に分類される。原産地はメキシコやブラジルといった南米熱帯雨林地帯。
月下美人の名を聞いたことがあるという人でも、その実物の花を見る機会に恵まれた人はそう多くはないかもしれない。 よく知られているように、この花は年に1度、多くても2度しか花をつけず、咲くのは真夜中で朝には枯れてしまうからである。
たった2時間ほどしか花をつけない月下美人だが、20cmほどもあるその白くて大きな花は非常に美しく、また目に沁みるほどの馥郁(ふくいく)たる香りを立ち込めさせる。一夜限りのその希少な美しさのために、月下美人を栽培し開花を楽しみにする愛好家も少なくない。
それにしても、月下美人はなぜ夜に咲くのだろうか。どうしてこれほど大きな花をつけるのだろうか。また花の色が白いのには意味があるのだろうか。最後に、なぜ一晩で
花を落としてしまうのだろうか。
これらの疑問に答えるためには、この花の原産地の環境を考える必要がある。 まず、植物が花をつけるのはその花粉を動物によって運んでもらうためだ。日本では主に昆虫が
その役目を担っているが、月下美人のふるさとである熱帯雨林地帯では、もっと大きな動物も貢献している。 なかでも、月下美人が上客としているのは、コウモリである。
多くのコウモリは昆虫などの小動物を主食とするが、木の実や花の蜜などを餌とする「果実コウモリ」と呼ばれるものもいる。
月下美人の原産地では小型の果実コウモリが多いに花粉の媒介を助けているのだ。
彼らはホバリングしながら上向きに咲いた月下美人の花の蜜を舐めとり、同時に顔を花粉だらけにする。運よくそのコウモリが別の株に花粉を運んでくれれば、受粉が成立することになる。
花粉のキューピッドが夜間活動するコウモリであることを考えると、いくつかの謎は解ける。昼の熱帯雨林はライバルになる植物が多い。それを避けて、月明かりの中でも最高に目立つ色である白の大輪を咲かせ、更に強力な香りを放って夜に活動するコウモリたちを誘因する。それにコウモリが乗ったくらいで折れてしまうようでは話にならない。大型で丈夫な花を咲かせる必要がある、というわけだ。
では、数時間で花を落としてしまうのはなぜなのか。
明確な答えは難しいが、常緑植物である月下美人は子孫を残すのにあまり焦る必要がない、という要因があるかも知れない。また目立つ大きな花を咲かせるために大半のエネルギーを使い切ってしまい、花を長く保つ力がないともいえる。 月下美人は年に1度咲くと思われがちだが、十分な栄養を取っていれば2回花をつける。そのことからも、花にかけるエネルギーの比率がほかの植物よりかなり大きいということがわかる。花火のように、大きな力を一瞬で燃やしつくすのかも知れない。
しかし、いくら理屈をこねてもこの花の神秘さと不思議さを解明することはできないように思う。見事な「自然の多様性」の一つと言うしかないのかも知れない。
アジサイの色が変わる仕組み

アジサイは雨に濡れた姿が似合う花だ。
梅雨の季節になると、公園や庭先でアジサイをよく目にするようになる。こんな所にアジサイがあったのか、と驚くような場所に咲いていることもある。
この花は赤、青、紫、あるいは白と、多彩で微妙な色を持つ。また、一つの株の花びらの色が少しずつ変化していくこともあり、そこから「アジサイの七変化」という言葉もある。
変化に富んだアジサイの微妙な色合いは何によって決まるのだろうか?
意外に思われるかもしれないが、アジサイには色素が一つしかない。「アントシアニン」である。アジサイの色の研究は古く、50年前からアジサイの色の変化はアントシアニンによるものだということがわかっていた。
アントシアニンの水溶液を酸性にすると赤色に、アルカリ性にすると青色になる。園芸に詳しい人なら、「土の酸性度によってアジサイの色が変わる」という話を聞いたことがあるかもしれない。
確かに、アントシアニンは酸性度によって色を変化させる性質があるのは事実だ。しかし、実は赤いアジサイも青いアジサイも、酸性度は大きく変わらない。pH3.0〜4.0の間で、強めの酸性を示している。つまり、アジサイの色の変化は酸性かアルカリ性かという単純な問題ではないのだ。
結論から先に言うと、色を左右する要因は3つある。
「土壌の酸性度」「アルミニウムイオンの量」「遺伝的な要素」これらが複合して微妙な色を形作る。
特にアルミニウムイオンの量が花の色を決める大きな原因だ。
アルミニウムイオンというのは、土壌中のアルミニウムが溶け出して特殊な状態にあるものだと考えてもらえればよい。
アジサイのアントシアニンはアルミニウムイオンと反応すると青くなることが最近の研究でわかった。
アルミニウムは酸性で水によくとけるため、土壌が酸性だとアルミニウムイオンがアジサイに吸収されやすくなる。そうすると花びらは青色を呈す。
逆に、土壌がアルカリ性だとアルミニウムイオンはとけにくいので赤色になる、というわけだ。
日本の土壌は酸性が多いため、公園など地面に直に植えられているアジサイは青色が多い。アジサイを鉢に移し替えたりその逆をすると花びらの色が変わるのは、土の酸性度やアルミニウムの含有度が異なるためである。
だが、アルミニウムや土壌の酸度とは関係ない色の要因もある。それは品種によって決まっている遺伝的なものだ。
「助色素」というものがアジサイの細胞内に存在する。これはアントシアニンの色に影響を与える透明な物質だ。この助色素の割合によって花の色が変わってくる。助色素の量は遺伝的に決まっているため、赤系統、青系統のアジサイが存在する。ただ、アルミニウムを過剰に与えればやはり青っぽくはなる。
なお、白いアジサイは色素をもたないため、色が変化することは無い。
ちょっと難しい話だったが、アジサイが咲く季節になったら、花を見ながら色が変わる仕組みを思い出してみるとよいだろう。
赤い植物はどうやって光合成する?
一般に植物は、太陽からの光エネルギーを水と大気中の二酸化炭素によってブドウ糖などの炭水化物に変換することができる。 これが光合成と呼ばれるプロセスだ。
ご存知のように、光合成は「葉緑素(クロロフィル)」によって行なわれる。植物の葉が緑色なのは、この葉緑素が緑色の光を反射するからだ。 植物の緑色は、その植物が光合成能力を持つというしるしと言える。
しかし、中には葉っぱが緑色ではない植物も存在する。 すぐに思いつくのは赤ジソだが、写真の紫キャベツもそうだ。赤ピーマンはそれこそ真っ赤だし、アカカタバミも葉から茎まで紫色をしている。 また、モミジやビヨウヤナギのように、元は緑色でも紅葉する種類はどうだろう。紅葉した葉も光合成できるのだろうか?
まず、葉が赤いといっても、その程度は様々だ。アカカタバミは濃い紫色になるものもあれば、少し赤みがかった程度のものある。シソにも、元は緑の葉っぱだが、一部が薄い紫色をしているものがある。
これらの植物の場合、葉緑素は普通の緑色の葉と同じだけ存在し、そこに赤色の色素が加わっているために赤や紫に見えていると考えられる。
実験でアカカタバミの光合成を調べると、やはり普通に光合成ができている。赤ジソの実験でも同じだ。どうやらこれらの植物の場合、葉に赤い色素が加えられていても光合成の効率にはほとんど影響がないらしい。
ちなみに、スイカの実の黒いシマシマ部分も立派に光合成能力を持っている。
ところが、赤キャベツや赤ピーマンは話が違う。実はこれらの植物の赤い部分には葉緑素が存在せず、ほとんど光合成をしないのである。
店で売られている赤キャベツには緑色の部分がないように思えるかもしれない。しかし畑などで生育しているときには、緑色の開いた葉が回りにあり、赤いのは中央の「玉」の部分だけなのである。
これは赤ピーマンも同様で、葉っぱに頼って光合成を行ない、実をつけるのに必要な養分を得ている。
では、実で光合成をできない赤ピーマンよりも、緑のピーマンのほうが栄養があるのだろうか。
赤いピーマンでも立派に成育している以上、養分は十分に足りていると考えられる。実が緑のものは、補助的に「実でも光合成ができる」が、できないからといって栄養価が落ちることは気にしなくてよさそうだ。
最後に、紅葉した葉の光合成について。 紅葉では、徐々に緑から赤や黄色に葉が変色していく。これに伴い、緑の部分が減るにつれて葉緑素は分解が進み、光合成の能力も減少してゆく。最終的に落葉する状態のときには、光合成はまったく出来無い状態になっている。
植物の光合成はまさに驚異のシステムである。 人工の光合成システムは科学者にとって大きな夢であり、盛んに研究が行なわれているが、植物と比べるとその変換効率は雲泥の差である。
最新のナノテクでは髪の毛一本の上にジャングルジムを作ることさえできるが、それほどの技術力をもってしても、これほどに効率のよいエネルギー変換システムは作れていない。
だが、こうした機能を顕微鏡でなければ見えないほどの生物が備えていることを考えると、その精妙さには脱帽するばかりである。
ポマトはなぜ広まらないのか

一頃、大きな話題をよんだ「ポマト」をご存知だろうか。
ポテトとトマトを合体させた植物で、地下にはジャガイモ、地上にはトマトができる。一石二鳥の夢のような植物だということで、もてはやされた時期があった。
ポマトは「細胞融合」という手法を用いて開発された。
細胞融合とは、異なる生物の細胞同士を人為的に合体させて、両方の染色体を持つ新しい細胞を作ること。 この方法を使えば全く種類が違う細胞同士の交配も可能になる。 しかしトマトとジャガイモはナス科の植物。近縁種なので比較的簡単に融合が成功した。
細胞融合で作られた植物には、オレンジとカラタチの「オレタチ」、ハクサイとキャベツの「バイオハクラン」などがある。
一見、いいことずくめに思えるポマトだが、園芸センターなどで売られていることは全くない。もちろん、デパートに並んでいることもない。 実際、ポマトはほとんど絶滅してしまっている。なぜこんな便利な植物が広まらなかったのか?
確かに、ポマトにはジャガイモとトマトの両方の遺伝情報が含まれている。
だが、実がトマトで地下茎をジャガイモにする、などということまでは制御できないのだ。 ポマトから取れるトマトはミニトマトより小さいし、ジャガイモも食用にはとてもならないレベル。 大体、一本の苗でトマトの実とジャガイモを作ろうとしたら、養分が足りなくなってしまうのは目に見えていることだ。むしろ実が収穫できればいいほうで、実際の所は、実用性など全くない植物だったのだ。
そんなわけで姿を消してしまったポマトだが、「なんちゃってポマト」なら手軽に作ることができる。
ジャガイモの茎を根に近い所からV字型に切り、それに合うように切ったトマトの茎を接ぐ。接いだ部分をテープや布などで固定する。 温度と湿度が高く、薄暗い所に植えると2週間ほどでつながる。
すでに実がついたものならホンモノ以上にホンモノのポマトに見えるだろう。 ガーデニングの片手間に、挑戦してみてはどうだろう。
種無しスイカの作り方は?

やはり夏はスイカである。 トウモロコシや新鮮な野菜も捨てがたいが、塩を少量ふりかけながら食べる冷たいスイカは何物にも変えられない。
スイカを食べないと、「夏がきた」という実感がどうしても薄いものである。
できることなら大口開けてむしゃぶりつきたいスイカだが、食べてるときにどうしても気になるのが種だ。中には気にせず飲み込んでしまうという豪な方もいるが、普通は面倒ながらも取り除くだろう。
だが、市販されているスイカの中には「種無しスイカ」というウソのようなスイカが存在する。一体これはどうやって作られているのだろう。遺伝子操作でもしているのだろうか?
いやいや、実はかなり地道で長い時間をかけてこのスイカは作られるのである。
まず、種がある普通のスイカは、遺伝の性質を決める染色体が二組ある「二倍体」と呼ばれるものだ。対して、種無しスイカは染色体が三組ある「三倍体」という、種を作る能力を持たない特別な種類である。種がないので当然三倍体から三倍体のスイカは作れない。そこで二倍体のスイカを何とかして三倍体にするのだが、これにはなんと三年もかかるのである。
まず一年目には普通の二倍体の種をまく。双葉が開いたときに、コルヒチンという染色体の数を倍にする作用を持つホルモンをかけて育てると、四倍体の染色体を持つ種ができる。
二年目は、四倍体の種を育て、雌花に二倍体の雄花の花粉をつけると、三倍体の種ができるのである。
そして三年目、三倍体の種をまくことによってようやく種無しスイカが収穫できるのである。
あまりに手間がかかるため、現在はなかなか入手困難なスイカだが、運良く見つけたら是非買って見るといいだろう。 そのスイカを作るのにかかった労力を考えれば、自然とありがたみがわいてくるというものである。
ヒョウタンはどうやって中をくりぬくのか?

ヒョウタンの独特なカタチに妙にあこがれた、という方はいないだろうか。なぜか私は、小さなヒョウタンの唐辛子入れなんかが欲しくなってしまう。
実用的な意味は現代となってはほとんどないが、あのカタチはなんともユーモラスで和み心を与えてくれるのだ。
外国の昔話にはヒョウタンのエピソードがよく出てくる。 例えば「シンドバッドの冒険」ではヒョウタンにぶどう酒を作って入れておくシーンがあるし、「西遊記」では返事をすると中に吸い込まれてしまうヒョウタンが登場する。 聖書の中にも、ヨナという人物の上に神が日よけとしてヒョウタンを生えさせる描写がある。日本のことわざにも「瓢箪から駒」というのがある。
かようにヒョウタンは、古来から人々の生活に密着した植物だったのだ。
だが、ふと考えてみるとあのヒョウタン、実がついているときは中身がギッシリ入っているはずである。では一体どうやって中を空洞にするのだろうか?まさかドリルか何かでくりぬくのか?
もちろんそんなことはない。容器としてのヒョウタンの作り方は、こうだ。
まず、開花して5、60日経って皮が硬くなったものをつむ。そして実とつながっている茎の部分を切り落とす。 そして切り取ったヒョウタンを1〜2週間水につけ、内部を腐らせ、種や果肉を取り出す。ヒョウタンの中は柔らかいので腐るが、表皮は腐らないのだ。 あとはよく乾燥させ、表面にウルシやニスなどを塗れば出来上がりである。 容器として完成させたいならば口に合うコルク栓などを見つけて買ってくればよい。 また、紐をつけてやると装飾品としての貫禄も出る。
古来、ヒョウタンは日本の夏の風物詩だったという。ツルを伸ばして高く生育するので、日よけとして利用価値があるのだ。また、果実はわかいうちは食用になり、エキスには美容効果がある。火にかける以外はあらゆることに利用できる、万能的な植物といえる。
ヒョウタンの栽培は特別難しいというわけではない。庭で挑戦してみるのも一興だ。実が収穫できたら、容器にして来客にでも差し上げたらどうだろう。きっと喜ばれるに違いない。
ウルシかぶれのメカニズム

ウルシ。漆。 中にはこの文字を見るだけで体が痒くなってくる、という方もおられるかもしれない。ウルシは漆塗りなど用途が多く、なくてはならない有用な植物だが、多くの人に敬遠されている。そう、かぶれるのである。その影響力は侮れず、場合によっては漆器や天ぷらにした新芽のせいでかぶれることもあるという。
幸い私はウルシかぶれというものを経験したことはないが、被害者の証言によればそれはそれは悲惨なものらしい。 顔をやられれば顔がパンパンに腫れ、まぶたが開かなくなる。また痛くて痒くてたまらず、こうした症状が一週間強ほど続く。
しかし、ウルシに触るとどうしてこんなことが起こるのか?
一口にウルシというが、一般にはウルシ科の植物全般、または一部の種を指す。日本に自生しているものは、ヤマウルシ、ツタウルシ、ハゼノキ、ヤマハゼ、ヌルデがあり、ヌルデを除いて※1全てかぶれる可能性がある。またニワウルシというものもあるが、こちらはニガキ科の植物で別物。もちろんかぶれない。ハゼノキは紅葉が美しくなるため、公園内や街路樹としてよく植えられている。毒性※2は強くないようだが、かぶれやすい体質の人は注意が必要だ。
さて、かぶれは専門用語で「接触皮膚炎」特にウルシによるものは「アレルギー性接触皮膚炎」と呼ばれる。接触皮膚炎は刺激性によるものとアレルギー性のものに大別でき、ウルシはアレルギー性である。
アレルギーというのは、人間の持つ免疫機構が過剰反応して身体に悪影響を及ぼすこと。具体的には、アレルギー反応を示す原因物質(アレルゲン)と一定量以上接触すると起こる。おなじみ花粉症などはそのいい例といえる。 ちなみに、ウルシかぶれのアレルゲンは、そのものズバリ「ウルシオール」という。
ここで気がつくのは、ウルシそのものに毒性があるわけではない、ということ。花粉症にしても、花粉が鼻水などの症状を引き起こすのではない。あくまでそれに過剰反応した身体が起こすのである。 ウルシでも初めて接触した人はひどくはかぶれないことが多い。免疫がまだできておらず、ウルシオールを無視している状態にあるからだ。ところが、2度3度と接触すると、これに反応するようになってくる。しかも、一旦かぶれると次からはますますかぶれやすくなるという悪循環に陥ってしまうことがある。
野山散策をするときは充分に注意を払いつつ、楽しんでいただきたい。
※1ヌルデにもかぶれの原因物質が微量ながら含まれているらしい。が、無害といってもいいレベルのようだ。
※2後述したようにウルシに「毒性」があるわけではないが、便宜上この表現を使用した。
写真提供:BotanicalGarden様
秋になると葉の色が変わる理由


秋といえば紅葉。紅葉といえば紅葉である。・・・コウヨウとモミジは同じ漢字を書くのでややこしい。 秋といえばコウヨウ。コウヨウといえばモミジ、と書いたつもりだ。
だが、紅くなる葉のことは紅葉でいいのだが、イチョウなど黄色くなるものについては「黄葉」と呼ぶ。読みはどちらも「コウヨウ」なのでモミジを見てもイチョウを見ても「コウヨウが綺麗だね」と言えるわけである。 最近は両方ひっくるめて紅葉と呼んでいるが、赤と黄で漢字が違う事は一応知っておきたい。
ところで、上のイラストの我々が普通にモミジと呼んでいる植物は、正しくはモミジという名前ではない。実はこれがカエデなのだ。モミジは元来秋に紅葉する植物の総称である。中でもカエデが美しく赤くなるのでいつの間にかカエデ=モミジと呼ばれるようになったのだ。 昔から「もみじがり」という言葉があるが、これは一種類の植物ではなく紅葉する植物全体を指して使われた語である。
さて、このように秋になると葉の色が変わる。この赤や黄色がなんとも趣きのある色合いで、日本に生まれてよかったとしみじみ思う季節でもある。
秋に紅葉(黄葉)する植物は先に挙げたカエデのほかにコナラ、ヤマザクラ、イチョウ、ポプラ、ヌルデなどがある。これらはみな落葉樹で、秋から冬にかけて葉が落ちる。日照時間が短くなり根の働きが弱って養分を得る事ができなくなるからだ。お荷物になる葉を捨ててしまおうという訳である。 そして紅葉また黄葉する謎はこの落葉と密接なつながりがある。
紅葉と黄葉ではその仕組みが若干違うのだが、それは色素の違いで基本的には同じだ。
まず葉っぱが緑なのはご存じ葉緑素が含まれているため。 落葉樹は葉を落とす前になると、葉と枝の間に離層という水分を通さない層を作る。 これによって葉には養分がいかなくなり、葉緑素が壊れ始める。すると葉の中にあった糖分からアントシアニンという紅い色素が作られ、これによって葉が紅く変わるのである。
黄葉も葉緑素が壊れる所までは同じ。ただ、それまで葉緑素に隠れて見えなかったカロチノイドという色素が見えはじめ、黄色く見えるのである。
落ちた葉は一見なんの役にも立たないように思えるが、さにあらず。木や動物の大事な栄養になっているのだ。特にカロチノイドを含む葉っぱはビタミンAを合成する原材料ともなる。落ち葉は栄養満点なのだ。 自然界とは実にうまくできているものである。
今度の秋、紅葉を眺めるときにはこんなウンチクを傾けるのもいいかも知れない。おっと紅葉とは限らない、黄葉もあるんでしたね。
大根が白いのは何故か

ニンジンが赤いのは紅葉のところででてきたカロチンのためである。 では大根が白いのはなんという色素によるものだろう?
実は、白い色素を持った植物というのは天然には存在しない。白ユリなど白い花もあるじゃないかと思われるかもしれないが、あれは薄いクリーム色で純粋な白というわけではないのである。
大根が白いのは雪や雲、曇りガラスや割れたガラスが白く見えるのと同じ理由による。
雪も雲もガラスも、それ自体は無色透明でなんの色も付いていない。しかしその細かな粒が沢山集まると、その粒同士で光が乱反射される。そのせいで白く見えるのである。
大根もこれと同じ。大根の繊維自体は色が付いていなくてもそれが集まることで白く見えてしまうのだ。
雪を水に入れると透明になってしまう。これは雪の中に水が入り込んで、光の乱反射をなくすからである。また曇りガラスの表面にセロテープを貼ると中の様子が丸見えになってしまう。曇りガラスに付いている凸凹にセロテープののりが入り込み凸凹をなくしてしまうからだ。 同じように大根もおでんなどにするために煮ると透明度が高くなる。水が隙間に満遍なく染み渡っているからである。
ところで大根は白いとは限らない。ハツカ大根には赤いものと白いものがあるし、ほかにも赤いものが結構あるようだ。 食卓に上がるのは大体白で、たくわんやおでんなども普通白大根を使う。でもちょっと変わった色の料理を作ってみたいと思ったら赤大根を使うのもいいかも。赤っぽいたくわん、おでんなんて食欲が湧いて…こないか。
彼岸花に毒があるといわれた本当の理由

私の好きな花は彼岸花である。 悪趣味と思われようが、彼岸花が好きである。このページ
(植物の研究)の壁紙も昔は彼岸花だった。あれほど怪しく美しい魅力をたたえた花は他にない。ひたむきに紅く、寂しく人気のない場所にごく短い時期だけ咲く。なんとも言いようのない寂寥感。花言葉は「悲しい思い出」―実に美しく悲しい言葉ではなかろうか。
この花はまた名前も多彩だ。彼岸花、曼珠紗華、死人花、幽霊花、剃刀花、灯篭花、捨子花、天蓋花、鬼首花・・・地方によっていろいろな呼び方があり、一説には全国で一千を超えるという。 これほど多く呼び名があるのも人々が不気味に思いながらも魅力を感じてきた証だろう。
曼珠紗華という名はもともとインド語で天上に咲く花を意味する。見るものの心を柔軟にする花だという。これほどの名が彼岸花に与えられているのも興味深い。
また彼岸花には毒がある。これも有名な話である。毒があるから彼岸花に触ってはいけないと教えられた方もおられるのではないか。 そう、確かに毒がある。しかしこれは「わざと」人々に流布された策謀なのである。
実は彼岸花は飢饉のときの非常食となっていた。彼岸花の毒は水にさらせば簡単に抜く事ができる。デンプン質が豊富で栄養価も高い。また球根をすりつぶせば薬にもなり、非常に重宝な薬草ともいうべき植物なのだ。 しかし彼岸花は繁殖力が弱く一度摘まれるとなかなか生えてこない。そのため、「彼岸花は毒だ」と言い伝えてよほどの事がない限り手を付けさせないようにしたのである。
怪しく、美しく、不気味で誤解されてきたが実は人々の最後の頼みの綱となっていた彼岸花。 あなたにこの妖艶な植物の魅力を少しでも判って頂けたなら幸いである。
オスの木とメスの木

多くの植物はおしべとめしべが同一の株にあり、自己受粉して子孫を増やしていく。
だが雄花と雌花が別々の木にある場合もある。これが「雌雄異株(しゆういしゅ)」と呼ばれるもので、つまりオスの木とメスの木が存在するのだ。 有名なものではイチョウがそうだ。イチョウは秋になるとギンナンという実をつけるが、あれはメスの木だけ。
雌雄異株の木は意外と多い。よく見られるものではヤナギやクワなどがそれ。クワのメスの木はドドメといわれる甘い実をつける。夏ごろに実っているのを見かけた事がおありだろうが、これが実にうまい。黒くなったものが食べごろで、赤や緑のものは早すぎる。食べたあとは手に色がついてしまい、多少落ちにくいがあのうまさには代えられないだろう。・・・ 話がそれてしまったので元に戻そう。 雌雄異株の木は月桂樹、サネカズラ、藤、メグスリノキなど結構ある。寄生植物のヤドリギもそうだ。これらは基本的にオスメス別の木だが、まれに同株になることもある。
普通メスの木の方が実をつけたり香りがよかったりと利用価値が高いので重宝される。が、数もオスに比べると少ない場合が多い。
植物に限らず、動物界でも一般的にメスのほうが大きく力も強い。 やはり女は強い、ということなのだろうが、人間社会も今は女性が強い強い…
スイカは野菜か果物か

照りつける夏の日差し。熱い太陽。立ち昇る陽炎。麦わら帽子に虫取りあみの子供たち。姿を見せぬセミたちの大合唱。
そして、縁側に蚊取り線香とよく冷えたスイカ。お父さんはこれでビールがあれば最高である。
スイカの原産地はアフリカのカラハリ砂漠で、日本へは16世紀ごろ中国経由で渡来したといわれる。 中国つまり西方からきた瓜ということで「西瓜」の字が当てられる。現在栽培されている甘味のあるものは明治時代から品種改良重ねて作られてきたものだ。 普通は吐き出す種も食べられ、フライパンで炒めて皮をむいて中の白い部分を食べる。中国料理にも使われている。
さて、西瓜は野菜か果物かという論争はあちこちで見られさして珍しいものではない。 甘味があって庶民の代表的「果物」ともいうべきスイカが実は野菜だとしたら、ちょっとがっかり(?)である。
しかしスイカは野菜に分類するのが正しいだろう。果物と野菜の違いは果実が樹になるか地面に這ってできるか、といわれる。 甘味があって樹になるものが果物だとしたら、スイカはこの範疇から外れ野菜である。 それにスイカはウリ科の植物。ウリを果物という人はいないだろう。こう考えればスイカを野菜と定義するのは致し方ないといえる。
普通果物とされていても実は野菜というものはメロンやイチゴなどスイカの他にもある。
結局の所これらはたまたま「甘い野菜」というだけのことなのである。
夏はスイカの他にもキュウリやとうもろこしなど、野菜がおいしくなる季節でもある。 冷えたキュウリに生味噌をつけてガブリ、なんていうのも乙なものかもしれない。
「曲がったキュウリは無農薬」は疑わしい

スーパーの食料品売り場や八百屋などに行くと沢山の野菜が所狭しと並んでいるが、中でも人気のある野菜がキュウリ。 サラダにしてよし、漬物にしてよし、そのまま切って出すもよしとお母さんにとっては何かと便利な野菜なのだ。
ところでこのキュウリ、まっすぐなものがほとんどで、三日月のように曲がったキュウリなんてまず見かけない。 しかし一昔前の自然食ブームのときには「まっすぐなキュウリは農薬を沢山使っている」といううわさが流れ、曲がったキュウリがもてはやされた時期があった。今でもそう思っている方もおられるかも知れない。
だが、農薬を使わないで有機栽培で作られたキュウリが曲がっているとは限らない。というのは、形が悪いのは農薬を使わないからではなく、実をつけるときの栄養がかたよっていたため。 曲がっているかどうかで有機か無機かの判断なんてできないし、ましてや農薬がどれほど使われてるかの目安にもならない。 判るのはそのキュウリの品質が悪いというだけのことである。有機栽培でもきちんと作ればまっすぐなキュウリができるはずなのだ。 だからまっすぐなキュウリでもなんら心配することはなく、むしろ曲がったキュウリを買わないようにすべき。
ただし、最近では形をよくするためにオモリをぶら下げることもあるというから、念のため。