大疑問の研究

体を鍛えすぎると病気になりやすい!?

夏が近づくと、にわかに筋トレを始める男性が増える。海やプールなどで露出が増えるこの季節、筋肉隆々の逞しい男のほうがモテるに決まってる。 女性はダイエット、男性は筋トレと、それぞれ余念が無い。
中には、夏が過ぎてもそのまま筋トレが趣味になり、体を鍛えるのが楽しくなった、という人もいる。
健康のためには、運動は欠かすことができない。体を鍛えれば鍛えるほど、抵抗力も高くなり、病気にかかりにくくなる―トレーニングが日課となっている人は、
そんな風に考えることが多い。
確かに、適度な運動は健康の維持に貢献する。しかし、「過ぎたるは尚及ばざるが如し」の言葉の通り、体を鍛えすぎると思わぬ弊害がある。なんと、免疫抵抗力が落ちてしまうというのだ。つまりは風邪を引きやすくなるなど、感染症にかかりやすくなってしまうのである。 体を鍛えれば抵抗力もアップして病気になりにくい…そう信じていた人にとってはショックである。 一体なぜこんなことが起こるのだろう?
事実を先に述べると、身体機能を極限まで高めることを目的とするようなトレーニングを行うと、以下のような現象が起こることが指摘されている。
免疫機能を担う白血球、リンパ球、ナチュラルキラー細胞(NK細胞)の減少。 感染症にかかる危険性の増大。 免疫力の低下。 活性酸素の過剰による筋損傷。ガンや動脈硬化、脳梗塞など各種疾病の危険。
NK細胞はリンパ球の一種であり、リンパ球は白血球の仲間である。ご存知のように、白血球は体内に侵入してきた菌や有害な細胞を捕食するなど、免疫機構の最重要の役割を担っている。
運動時には、ストレスホルモンである糖質コルチコイドという物質が副腎から分泌され、これがリンパ球、NK細胞を減少させると考えられている。 これらの免疫機構が弱まれば、当然感染症にかかりやすくなる。
トップアスリートといわれる人が案外風邪をひいたりしやすいといわれるのは、このことと無関係ではない。
加えて、白血球の一種である好中球とマクロファージは、細菌に対する攻撃手段として活性酸素を用いる。しかし活性酸素は健康な細胞も攻撃してしまう。 激しい運動をすると、これらの白血球が活性化し、多量の活性酸素を筋肉中に放出する。これが筋肉痛の原因と思われる。
こうしたことが続き、過剰に活性酸素が蓄積されると、前述したような疾病―心臓病や糖尿病も―にかかる可能性が増えてくる。
勿論、これはスポーツ選手のような過度な運動を続けた場合のことで、適度に反復される軽い運動程度ならば、何も心配することは無い。
また逆に、運動をしなければ病気にかかりにくいかというと、そういうわけではない。運動不足も白血球の低下を引き起こし、免疫力の低下に繋がる。
やはり、ほどほどに運動するのが一番良いということである。
ハイオクとレギュラーガソリンの違いって?
史上最高値を更新し、値段を提示してあるスタンドを通るたびに憂鬱になるガソリン価格。マイカーを所持している方は、燃費を気にしながらの運転をしていることだろう。 特に、ハイオクはレギュラーより10円前後高いこともあって、少しでも安いスタンドを選ぶ方もいるはずだ。
ところで、この「ハイオク」ガソリンはレギュラーガソリンとどう違うのだろうか。値段も高いことだし、なんとなく高級だということはわかるが、具体的にどう成分が違うのか。
少し車に詳しい人なら、「オクタン価」が違う、という答えが返ってくるかもしれない。オクタン価が高いのがハイオクガソリン、その認識は正しい。しかし、「ではオクタン価とは何か」と尋ねられると、「う〜んなんか濃い方がいい成分じゃないの?」と、お茶を濁してしまう人も多い。
実際オクタン価とは何だろう。
オクタン価の正体の前に、よいガソリンとは何か、ということについて考えたい。
ガソリンの役目は、なにはなくとも安定した出力が得られることだ。ガソリンが原因でエンストするなど言語道断、エンジンの点火系統にも異常が起こってはいけない。
走り屋の方々は、恐らくガソリンの銘柄にもこだわることも少なくないのではないだろうか。
そして、実はそのガソリンの良し悪し、つまりいかに安定して燃えるか、ということを指標化したのが「オクタン価」と呼ばれる数値だ。
具体的には、「耐ノッキング性能」すなわちノッキングの起こりにくさを数値化したものなのだ。ノッキングとは、燃料の異常燃焼のことだと思ってもらえばよい。適切に燃焼が行われないと、エンジンにダメージを与え
、走りに悪影響を及ぼすことになる。こうした状況をいかに減らすかがガソリンに求められるクオリティだ。
ハイオクガソリンの場合、オクタン価は96以上なければならない。スタンドで販売されているものは98〜100のものがほとんどで、なかなか高性能といえるだろう。レギュラーの場合オクタン価は90から96ということが多い。
さて、オクタン価の正体は分ったが、「オクタン」とは一体何なのか。
オクタンはガソリンに実際に含まれる物質だ。炭素と水素の化合物、すなわち炭化水素であり、化学式はC8H18。
化学式からも極めて燃焼しやすい物質であることが容易に理解できる。
そして
、オクタンの価はガソリン中に含まれる「イソオクタン」を基準としている。イソオクタンは安定して燃焼するため、ガソリンに含まれる割合は大きい方がよい。逆に、耐ノッキング性能の低いオクタン系の物質もあり、それらがガソリン中に含まれているとオクタン価は下がる。
ハイオクガソリンのオクタン価が100前後であることは前述したが、ではレギュラーガソリン車にハイオクを入れたら性能や燃費は向上するのだろうか?
これは、一概に言える問題ではない。基本的に、レギュラー車はレギュラーガソリンを入れた時に最適のパフォーマンスを発揮するよう設計されている。そのため、ハイオクを入れても性能が上がるどころか、調子が悪くなり燃費が下がってしまう可能性のほうが高い。だが、排気量の大きい車など、一部の車種ではハイオクを入れると燃費が上がるということもあり得る。実際、ENEOSヴィーゴなどはレギュラー車にハイオクを入れても問題ない、という見解を出している。(但し、これは洗浄剤、摩擦調整剤がレギュラー車にも効用があるということであり、燃費が向上するかどうかは疑わしい)
逆に、ハイオク仕様車にレギュラーを入れたらどうなるのか?実は、よほど古い車でない限り、ハイオク車にレギュラーを入れた時の点火セッティングがコンピューターに組み込まれており、実害はないようになっている。レギュラーを入れるのは「想定済み」なのだ。 だが、もちろんハイオクを使った時と比べて燃費は悪化する。
ハイオク車にしろレギュラー車にしろ、指定燃料を入れておくのが無難、というのが当然ながら一般的な見方のようだ。
シルエットはケチから生まれた!?
風景写真を撮るのが苦手、どうもカッコイイ写真が撮れない、という方に御薦めの被写体がある。
夕焼けの海だ。 それも、日本海側で夕日が水平線に沈む時間がいい。船や灯台などをうまくフレームに収めれば、なかなか味のある写真が出来上がる。デジカメならばパソコンでオレンジ色をあげてやるとよいだろう。
このようなシルエットの写真は、被写体の色褪せや汚れなどを気にする必要がない。ピンボケや手ぶれなどもごまかしがきく。それでいて額に飾っても見栄えのする絵になる。観光地などに行ったときには、夕焼けを利用したシルエット写真も撮っておくと良い。
ところで、この「シルエット」という言葉は18世紀のフランス、ルイ15世の時代に財務長官を務めた人物の名に由来する。なぜこの大臣の名が使われることになったのだろうか。
当時、フランスはオーストリアなどと戦争をしており、国の財政は困窮を極めていた。それを救うために登用されたのが、我らがエティエンヌ・ド・シルエット。 彼は経済立て直しのために、超がつくほど徹底的な倹約政策を実施した。ほとんどヤクザのように言いがかりとしか思えないような仕方で市民に税金を課した。「人の吸う息にまで税金をかける」と陰口をたたかれるようになったのも無理はない。
そんなある日、大臣の恒例にしたがい、シルエットも肖像画を描かせることになった。ところが、彼は「肖像画を描かせるなんて費用がもったいない。影だけで十分だ」といい、輪郭を黒絵の具で塗りつぶした肖像画で済ませてしまった。
このエピソードから、被写体が黒く塗りつぶされた絵画や写真を、ケチや安上がりといった意味を込めてシルエットと呼ぶようになったのである。
彼はもともと切り絵が趣味で、晩年には自分の城を作り、その中を自作のコレクションで埋め尽くしたという。この切り絵の趣味が大胆な発想につながったと思われる。
「色なんていらん、白黒こそが美しい」とでも、シレェっといったのだろうか。
LED信号機が普及しているのはなぜ?
最近、信号機が急速に変化しつつある。気付いておられるかもしれないが、LEDが使われるようになっているのである。
LED、すなわち発光ダイオードは、大型電化製品には必ずといっていいほど使われている電子部品だ。
パソコンのスイッチランプがそうだし、キーボードにもついている。ADSLを利用している方はモデムやルーターでLEDが明滅していることだろう。
懐中電灯も白色高輝度LEDを複数個搭載したものをよく見かける。車のランプにも使われるようになった。数年前には想像できなかったことだ。
今やLEDは単なるイルミネーションにとどまらず、照明器具としての地位も確立し、利用範囲が急速に拡大しつつある。なにしろ、信号機に使われるのだから、よほど信頼性が高く、かつ耐久性に優れなければならない。
LED信号機自体は10年ほど前からあるが、普及が進んだのはここ数年だ。高輝度で、信頼性の高いLEDが量産できるようになったためである。
このLED信号機が需要を拡大している背景にはどんな事情があるのだろうか?
まず、LEDの大きなメリットとして、消費電力と熱の発生が小さいということがあげられる。当然、普通これらは小さければ小さいほどいい。
電球は光と同時に熱も放出してしまい、エネルギーをロスしてしまう。しかし適正な電力を供給されたLEDは熱をほとんど出さない。つまり電気代が節約できる上、環境にもやさしいのである。
また、LEDは寿命が長い。 実は、電球式の信号機は1年に一回、電球を全て交換しなければならないのである。 信号機の保持は人命に関わることだから当然といえば当然だが、これには大きなコストがかかる。
その点、LEDは長寿命で交換がほとんど必要ない。また小さなLEDが沢山集まってひとつの信号を形成しているので、LEDが一つ二つ切れても問題ない。これも信頼性が高い要因だ。
更に、逆光や西日が当たっていても視認性が高いという長所がある。これはありがたい。
電球式信号機は、カバーに赤、青、黄色といった色がついている。つまり電球の光をフィルタにかけて、それぞれの光を取り出しているわけだ。
しかし多くの方が経験しているように、このタイプの信号機は西日があたったときにどの色が光っているのかわからない。カバー自体の色が見えてしまう上に、カバーのせいで光が弱まってしまうのだ。
ところが、信号機に使われるLEDは透明なものだ。透明であるゆえに、赤や青の単一波長の光を出すことができる。そして点灯していないときは真っ黒に見える。これにより、遠くからでもはっきりと見え、西日の中でもどの色が光っているのか認識できるというわけだ。
LED信号機にデメリットらしいものはほとんどない。設置コストが少し高いことと、熱を出さないゆえに積もった雪がとけないという問題くらいだ。
歩行者用信号機もどんどんLEDが採用されている。新しい道路に伴って設置される信号機も多くがLEDだ。
電球式信号機が珍しいなんていう時代が、もう遠くないのかもしれない。
デパートの一階にはトイレがない?

ちょっと出かけた先で、トイレが見つからなくて大変苦労することがある。そんな時、デパートが目に入るとほっとするものだ。コンビニのトイレは狭くて入りづらいし、何も買わないで出てくるのは気が引ける。
だがデパートなら広くて綺麗だし、人の出入りも頻繁ではないので気持ちよく用を足せるというものだ。
ところで、デパートのトイレというのは一階にはない場合が極めて多い、ということにお気づきだろうか。こちらはトイレに一刻も早く特攻したいのに、入り口からはるばるエスカレーターなどで上の階に行かなければトイレに辿り着けないのである。 これは、客商売としていささか不親切ではないのか?
だが、店の立場から考えてみれば、トイレ目当てで立ち寄られてオミヤゲだけ残して帰られたのではたまったものではない。 もちろん、トイレを利用してもらってもいいが、何かを買っていってもらいたいというのが本音だろう。
そのため、2階などにトイレを設置して客がトイレの道のりの間に商品を物色するように仕向けているのである。
なるほど、トイレの帰りにでも安い食料品を見かければ買いたくなるだろうし、2階の衣料品売り場では処分品セールに目を付けてくれるかもしれない。
せっかく来たお客様をトイレだけで逃がしてはもったいない。店側にして見ればトイレを遠くに置きたいというのは至極当然の発想なのである。
トイレの配置というものはなかなか奥が深い。用を足しながら配置の意図するところを考えてみると、退屈しないかもしれない。
豆腐の角に頭をぶつけて死ねるか?


多くの殺人事件のドラマの中でも、重要な焦点となるのが凶器である。凶器の隠し方や意外なものを凶器に使うといった謎解きは、数々のミステリー作家が挑戦してきた。
その意外な凶器の部類に食材がある。例えば、カチカチに凍らせた肉を鈍器にして人を殺し、その肉を調理してやってきた刑事に食べさせてしまう…なんていうストーリーがある。
モノは使いようというわけだが、こんなことができるのも元々硬い食材であることが前提条件だ。
ことわざに「豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ」なんてのがあるが、どうぶつかってみても豆腐では傷一つ負うことはないはずだ。…と思ったらこれがそうでもなさそうなのだ。
山形県の特産品に「六浄豆腐」というものがある。 これは硬めに作った豆腐に荒塩を丹念にすり込み、コチコチに乾燥させたもの。鰹節のように硬いため、削ってお湯で戻して吸い物の具などに使われる。 鰹節の削られる前のものを触ったことがおありだろうか。確かに大変硬い。
鰹節はどんなに大きくても鰹の大きさを超えることはないが、豆腐ならいくらでも大きく作れる。
四角い大きな六浄豆腐に頭をぶつけたら、打ち所が悪ければ死んでしまうかもしれない。
普通この豆腐はすでに削った形で売られているが、元のままの形で入手することも不可能ではないはず。興味のある方は手に入れて、頭をぶつけてみたらどうだろう。 もちろん、どうなろうと当方は一切責任を負いませんのであしからず。
遺書にもここで読んだということはどうか書かないで頂きたい。
音楽をかけると集中できるの?


音楽をかけると仕事や勉強がはかどる、という人がいる。
反対に音楽が聞こえると全く集中できない人もいる。
普通、事務系の職場や学校では音楽がかかることはあまりない。仕事をしながら音楽を聴くのは不謹慎だという考えが日本にはあるようだ。音楽を聴かなければ集中できない人にとっては困ったことである。
だが、このように音楽をかけて作業をする時に、人によって集中力に違いが出てくるのはどうしてだろうか。ある人は集中できるし、別の人は全然集中できない。
これは聴く音楽の種類も大きく関係してくる問題だが、ここはまあ無難な自分の好きな音楽ということにしよう。
実験でも確かめられていることだが、好きな音楽を聴いているときは脳波がリラックスした状態になる。この時は集中力が高くなっている。つまり、好きな音楽を聴くことは確かに集中力に効果がある。 しかし、音が聞こえているということはその分、脳が聞く事に使われているわけである。これでは何かに100%没頭することはできない。
考えてもらいたいが、本当に集中力が必要な時に音が聞こえることを好む人はあまりいない。
書道や絵画、その他集中力が必要な作業では音楽はむしろ邪魔なことが多い。
だが、勉強や仕事など、ともすれば気が散ってしまいがちな場合には音楽をかけたくなってくるのではないか。 これはつまり、ふと気がそれたときに音楽に耳を傾けることで、作業の中断を短くしているのである。
要するにこうもいえるかもしれない。 「集中力のある人は音楽を聴きながらの作業は集中できず、集中力のない人は音楽をかけることで効率がよくなる」
さあ、胸に手を当てて考えてみよう。あなたは作業をする時に音楽をかけるだろうか・・・?
ちなみに私はこれを書きながら、さだまさしの曲を聴いているところです。
カラーのタイヤはなぜないの?

現代はカラー志向である。一昔前は、この製品にはこの色という「定番の色」があったが、今はカラーバリエーションも増え、それによって売り上げが増減する世の中だ。
だが、やはり変わらぬ定番の色を守っているものも数多い。例えば鉄アレイ。普通あれは必ずといっていいほど黒い。やはり黒が一番重厚感が出るからだという。また、赤や黒の冷蔵庫なんていうのもない。白や水色など清潔感がある色が選ばれている。
こうしてみると、製品のイメージにあった範囲内でカラーが決められているのがわかる。
だが、車のタイヤはどうだろうか。工場で使われるフォークリフトなどごく一部を除いて、「黒」しかない。ホイールの色は数あれど、タイヤは黒以外まず見かけない。 赤や白のタイヤがあっても良さそうなものではないか。なぜタイヤは黒色しかないのだろうか?
タイヤはゴムでできているが、ゴムそのものは元々乳白色をしている。つまり、タイヤの黒は天然のものではない。
実は、黒色の正体は炭素の粉である「カーボンブラック」と呼ばれる物質。カーボンブラックはタイヤの原材料の実に25%程度を占めており、補強剤として使われているのだ。
もしこれが入っていないとタイヤは消しゴムのように柔らかくなってしまい、とても道路を走ることはできない。タイヤの黒にはそれなりの理由があったのである。
では、どうしても色つきのタイヤを作れないのかというと、まあ作れないことはない。他の補強剤を使えばカラーのタイヤを作れるが、強度は著しく落ちてしまう。カーボンブラックに代わる材料はいまだ発明されておらず、実用に耐えるカラータイヤは作れない、というのが実状のようだ。
いずれ技術が進めばカラータイヤは当たり前の時代が来るかもしれない。 だが、そうなってもやはり黒タイヤが一番人気がありそうである。
ブドウ糖って甘いのか?

皆さんご存知のブドウ糖は血液中や甘い果実内に存在する果糖の一種で、グルコースと同じもの。 またデンプンはこのブドウ糖が鎖状につながっているもので、デンプンとして体内にはいった養分はブドウ糖に分解される。 さらに、気にする人が多い血糖値は血液中のブドウ糖の濃度を指す。空腹を感じるのはブドウ糖が少なくなっているという合図だ。逆に満腹のときは血糖値があがっているということ。
このように私たちの体を根底から支えているといってよいブドウ糖だが、糖と言うからには甘いのだろうか?それになぜ「ブドウ」なのだろう。
実はブドウ糖そのものが「ブドウ糖」というなんのひねりもない商品名で売られている。原材料名はもちろんブドウ糖一つだけだ。 私もこれを食べたことがあるのだが、なるほど甘かった。白い粉を固めたチップ状になっていておやつにも丁度いい。なぜかコーラによく合う。 脳には栄養としてブドウ糖が欠かせないので、受験生や働き盛りのお父さんにお薦めだ。
「ブドウ」の名の由来は分子構造がブドウの房のようになっているため。別にブドウの味がするからではないが、ブドウのように甘いのは確かである。
「勘当」ってどうやるの?


「勘当だ!」というセリフはもはや死語になりつつある。最近のドラマにはそんなセリフはほとんど出てこないし、マンガにも登場しない。かろうじて落語の中に残っている程度だろうか。
一般に勘当とは、親子の縁を切り、もう金輪際他人同士…といった状況を指すのに使われる言葉だが、実際の意味はもう少し広い。
勘当は「親、主君、師匠などからその関係の解消を申し渡すこと」と定義できる。従っていわゆる破門のことを「勘当」と言っても間違いではないし、仕事をクビになったときも「勘当された」で正しいことになる。それが現在では、ほとんど親子関係の断絶といった意味に使われているわけだ。
勘当を行うと、例えば親なら子の行動に対して責任を問われなくなり、財産の相続権も剥奪できる。全くの他人扱いである。 これによって社会的連帯責任を回避し、家の没落を防ぐことができた。
勘当という制度はかなり古くからあり、江戸時代ごろに法制化されたようだ。日本の勘当には、「本勘当」と「内証勘当」と呼ばれるものがあった。幕府や役人、奉行所などに正式に届けを出して勘当するのが本勘当で、口頭での言い渡しなど公式ではない勘当が後者に当たる。こちらは言ってみれば家を叩き出されるようなもので、懲罰的な意味合いが強いものだった。 ちなみに、勘当は届けを出せば文字通り帳消しにすることができた。
さて、この「勘当」、現在でも有効なのだろうか?つまり親は子供と法的に血縁関係を絶つことができるのか? 答えはNO。今の法律では血を分けた親子の関係を絶つことはできないのだ。(非公式の内証勘当はできるといえるかもしれない)
むしろ逆に、親が子供の世話に必要な義務を怠ったり、子供に著しい害を及ぼす場合、親権を剥奪されてしまうこともありえる。(民法第八三四条 親権喪失の宣告等)矛盾した表現だが、親が勘当されてしまうのだ。
対して、どうしようもないワル息子の場合でも親は「二度とウチの敷居をまたぐな!」程度の擬似勘当しかできないのだろうか。 法的にはそうなのだが、手はある。民法第八九二条「推定相続人の廃除」がそれ。これは、子供がひどい虐待や侮辱をしたり、著しい非行があった場合に相続権を与えないようにすることができる、というもの。つまり、目に余る非行をした子供には財産を譲らない、ということが可能になる。
まあ、これができるのは子供がよくよくのことをした場合だけだし、そうでなくてもそんなことしたくはない、というのが親心だろう。
上記の情報が単なる知識としてしまっておかれることを願うばかりである。
しゃっくりの上手な止め方

しゃっくりというヤツはあくび、クシャミと並んで困った生理現象の部類に入る。クシャミなんかはまだ出そうになるのがわかるし、こらえようもあるのだが、しゃっくりはいつくるのかわからないだけにタチが悪い。おまけになかなか止まらない。だが、実はこれにはうまい止め方があるのである。それをこっそり伝授しよう。
しゃっくりは急に寒いところに出ると起こる場合もあるが、多くは食後に起きるといわれる。
これは食事によって胃が膨れ、横隔膜を押し上げるためだ。 そういえばたらふく食べた後はよくしゃっくりが出る、という方もおられるだろう。
もともと、しゃっくりは横隔膜の緊張と弛緩が呼吸のリズムと一致せず、一種の痙攣状態に陥ることによって起こる。ということは、何らかの方法でこの痙攣を止めてやればよい。この手段として最も効果的で簡単なのは、息を止めてしまうことである。 といってもピタリと止めるのではなく、思いっ切り息を吸い込んでグッと止め、あごを引き、20秒ないし30秒ほど止め続ける。これを寝転んでやると更に効果的である。立ったままでも弱いしゃっくりなら抑えられるが、強いものは横にならないとダメである。
この原理は恐らく、肺を大きく膨らませることによって隣接する横隔膜の痙攣を強引に抑え込んでしまう、ということだと思う。思う、というのは経験的な立場からで、何も確固とした資料があるわけではないからだ。まあ理屈はともあれ、止まりさえすればそれはそれで文句ない。
ちなみにこの方法、家の中なら問題ないが、外では結構難しい。立ったままでは息も止めにくいし、思いっ切り止めて必死な顔でいると、変な目で見られることが多々ある。しかも、会話も出来ないからますます「?」となり、いつしか人が近よらなくなるかもしれない…
ズボンをはくときの足の謎

一体どういう因果か知らないが、私はシャツを後ろ前を確かめずカンで着ると必ずといっていいほど逆になっている。
さすがにズボンは間違えようが無いが、パンツなら目をつぶってはけば逆になるに違いない。
まあそんなことはどうでもよいのだが、このズボンやパンツのはきかたというのがなかなか面白い。 考えていただきたいが、皆さんはこれらをはく時どちらの足から先に通すだろうか? 実は、日本人は圧倒的に左足から入れる人が多いのである。
この理由は色々考えられる。例えば、右足利きの人は右足で立った方が安定するからというのがあるだろう。だが、こう考えることも出来る。 幼い時に親にズボンをはかせてもらったときの習慣がそのまま残っているのだと・・・ 恐らく、あなたは親がはいているのと同じ側から足を入れているはずである。そうやってどんどんさかのぼっていくと、戦国時代の武士の作法にたどり着く。
武士というのは常に戦いと隣り合わせである。だから、何かあればいつでも戦える準備をしておくのがたしなみであった。それが例えば靴を玄関に向けて置く「出船」であったり、土下座をする際に右手を上にすることだったりする。同じように、袴をはく時も利き足の右足が空くように左足からはくのがたしなみとされたのである。
無論その後を通じ袴をはくことはほとんどなくなったものの、こうした習慣は代々受け継がれ、今に至るというわけだ。
というわけで、今度ズボンをはくときは是非武士の気分ではいてみていただきたい。
赤ちゃんは実は泣かない?


「泣く子と地頭には勝てぬ」とはよく言ったもので、赤ちゃんといえば泣くものである。泣かない子がいたら回りはさぞ心配するだろう。そもそも、生まれた直後には「産声」といってなかなければ呼吸すらできない。
しかし−お子さんがおられる方、または赤ちゃんを近くで見たことがある方はよく思い出していただきたい。・・・赤ちゃんが涙を流しているのを見たことがおありだろうか?
実は、産まれてから数ヶ月の間は、赤ちゃんは涙を流さない。声を上げて喚きはするものの、ほとんど涙を流さない、つまり「泣かない」のである。 これは一体なぜだろう?
産まれたばかりだからまだ涙が溜まっていない?いやいや違う。実は感情的に流す涙というのは、自分の気持ちを伝えるのに効果的だということを経験した後にしか出ないのだ。 例えば「おしめが濡れた」という事を知らせるには涙を流すとよい、と学習するのである。だからそのことを学習するまでの期間は、涙は−少なくとも感情的な−流さないはずなのだ。
また、「涙は女の武器」というが、女性が泣くのも「涙を流すと相手の感情に訴えやすい」ということを学習した結果といえる。 だが、女の涙というヤツはなだめたり食べ物をあげたりで済むものではない。(と思う)すぐご機嫌を直してくれるぶん、赤ちゃんの方がラクかもしれない・・・
電車の中の携帯使用、メールもダメなの?

近頃電車に乗ると、「車内での携帯電話のご使用はご遠慮ください」というアナウンスが流れる。ちょうどその放送が流れているときに使っていた人は何となく肩身の狭い思いをしてそそくさとポケットにしまったりするが、そんなお願いなどどこ吹く風、平然と使い続ける神経の太い方もいる。
それにしても、ここで気になるのは「携帯電話の使用というのは『通話』のみを指すのか、それともメールやゲームなども含まれるのだろうか?」という点だ。 今は携帯も通話よりメールの送受信にかける時間の方が多いし、メールやゲームなら音を立てるわけではないので誰にも迷惑はかけない。 というわけで、この疑問をJR東日本にぶつけてみた。 JRから非常に丁寧な解答がきたので、これをそのまま引用させてもらおう。
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当社のホームページのFAQにもございますように、弊社では「携帯電話の使用のご遠慮」をお願いしております。
お客さまのご指摘のように、混雑した車内ではペースメーカーなどの医用電気機器への影響が懸念されるため電源をお切りいただくようお願いしております。これは、公的な機関による答申(「電波環境協議会」のホームページに詳しくございます)によるものでございます。一方、混雑していない車内においては、電源を入れて待ち受けにしていただくとともに、マナーモードにしていただくと幸いです。
また、緊急の電話などがあった場合には、後ほどの電話としていただけますよう、通話の相手の方と確認していただければ結構です。
メールやパソコンも、それ自体の通信だけでなく、周りの方へのマナーという点でご判断いただきたく存じます。状況による使用のご遠慮を、どうぞよろしくお願いいたします。
今後も、みなさまに愛され、親しまれるJR東日本をめざしてまいりますので、引き続きご愛顧賜りますようよろしくお願い申し上げます。
東日本旅客鉄道株式会社
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・・・へえ、東日本の正式名称は「東日本旅客鉄道株式会社」というのか。 いや、そんなことはどうでもいい。 ふむ、これによると「混雑した車内では・・・電源をお切りいただくようお願いしております」 とのこと。 混雑していない車内ならばマナーモードにしておけばいいのだ。 「緊急の電話は後ほどに」長くなりそうな電話がきたら、こちらからかけますといっておきましょう。
そして気になるメールだが、「周りの方へのマナーという点で判断し、状況によっては使用を控えて欲しい」ということだ。 つまり、混雑していない車内では必ずしもメールやゲームをしてはいけないというわけではないようだ。しかし混雑していなくても通話は避けるべき。「ただ今電話に出られません」というメッセージが流れるようにしておくか、留守電モードにして置けば完璧だろう。
だが、ただでさえ時間のない世の中。せめて電車の中くらい電話に縛られず本でも広げてもらいたいものだ。
ロダンの「考える人」は何を考えているのか?

日本人に良く知られている彫刻といえば、まず間違いなく上位にランクインされるのが「考える人」であろう。私はこれ以外に知っている彫刻といえば、せいぜいミケランジェロの「ダビデ像」か二宮金次郎くらいしか思い浮かばない。
ところで、あまりに有名なこの作品だが、一体なにゆえ考える人なのだろうか?何を考えているのだろうか?よもやトイレの中で物思いにふけっているわけでもあるまい。
実はこの作品、ロダンは「考える人」という名前をつけたのではなかった。これは後から鋳造化のリュディエという人がつけたものなのである。(だからといって別に捏造ではない)
では、何も考えてないでただボーっとしているのかというとそういうわけでもない。 そもそもこの作品、単体ではなく「地獄門」というもっと大きな作品の一部分なのだ。彼はその中の中央上段部に座り、地獄で人々が苦悩している様子を眺めている人物であり、特に熱を入れて作られた作品ではなかったようである。
しかし、「地獄を見下ろす人」なんてついていたらお釈迦様みたいではないか。現在馴染み深い素晴らしい日本名をつけた方には、是非ノーベル文学賞を差し上げたい。

ドはドーナツのド、レはレモンのレとかそういった話ではない。
これらに言葉としての意味があるのか、ということ。ドレミファはいうまでもなく音階記号だが、実はある歌詞が元になっているのだ。
それは「聖ヨハネ賛歌」。11世紀のイタリアで修道僧の「グイード・ダレッツォ」という人物が音階を分かりやすくするために聖ヨハネ賛歌から「ドレミ・・・」を考え出した。
聖ヨハネ賛歌は曲の最初の部分が音階順になっておりそこを取り出してみると次のようになる。「Ut, Re, Mi, Fa, So,
La」DoではなくUtになっているが、これは今でもフランスで使われているようだ。
ちなみにこの歌はラテン語だが、詞の意味は「琴を鳴らしてあなたを讃えるためこの僕の口を開かせたまえ聖ヨハネよ・・・」 といった感じ。「このぼく」ではない、「このしもべ」である。お間違えなきように。
日本では昔は「ハニホヘトイロ・・・」と習っていたはずだが、これを知っていると年がバレてしまう!?
誰がネクタイを考案したのか?

男性にとって夏場のネクタイは拷問に等しい。なにが楽しくてこんな厄介なものを発明したのか、と考案者がその場にいたら小一時間問い詰めたくなってしまうだろう。
そんな責めを怖れてというわけでもないだろうが、ネクタイの考案者は知られていない。というよりも、長い年月をかけて進化してきたものなので誰が考えたというものでもないのだ。
現代のネクタイのルーツを辿ると16世紀のヨーロッパまでさかのぼる。 当時イギリスやフランスで男性は十数センチもの厚さがある「ラフ」と呼ばれるものを首につけていた。 ラフは首の周りを囲む大きな円盤状の襟で、白い布で作られ型崩れしないよう支えられていた。この時点ではまだ「襟」の域をでないものだったが、やがてラフはフォーリング・バンドというものに取って代わられる。これは主に清教徒の間で流行した。17世紀になるとスカーフ状のクラバットという薄い布を巻くことが流行し、このあたりから現在のネクタイの原型が出来始める。蝶結びもこの時期生まれたようだ。
そして19世紀に入り服装の単純化に伴い、黒い大きなクラバットを巻くことが流行った。 1840年頃になるとネクタイと呼んでも差し支えないものになってくる。素材も柔軟になり、デザインも多様化し始める。 現在一般的なフォア・イン・ハンドと呼ばれるネクタイは90年代に広まり、現在にいたる。
なんとも絡まったようなネクタイの歴史だが、おわかりいただけだろうか。
鼠小僧はなぜなかなか捕まらなかったのか?

日本人で知らぬものはない義賊といえば鼠小僧次郎吉だろう。天保3年8月に獄門に処せられるまで押し入った屋敷は分かっているだけでも96ヶ所。盗んだ金の総額は
三千両にも及ぶ。「十両盗めば首が飛ぶ」といわれていた時代だから、これは大変な額である。
それにしても鼠小僧はなぜなかなか捕まらなかったのだろう? 実は、盗みに入られた屋敷が体面をおもんぱかって奉行所に届け出なかったためだ。泥棒に入られたなんてかっこ悪くて人には言えないというわけ。 中には3回も鼠小僧にやられたなんていう間抜けな屋敷もあったようだ。
ちなみにテレビなどの鼠小僧は盗んだ金を貧しい人々に与えたということになっている場合が多いが、あれは残念ながら後世の創作だ。
金はほとんど女と博打に使ってしまったといわれ、実際の鼠小僧はまさに「ネズミ」と呼ばれるにふさわしいセコさだったのかもしれない。
画像提供:大橋栄二の凧コレクション 凧大図鑑 (下)
印籠にはなにが入っていたのか?

「この紋所が目に入らぬか」といえば水戸黄門さまの家来、角さん助さんの決め台詞である。
ハハーッと悪人どもをかしこまらせる印籠、あの中には果たしてなにが入っていたのだろうか?
別に中身に威光があったわけではない。印籠の名のとおり、室町時代には印や朱肉を入れていた。それが江戸時代頃になると小物入れとして使われるようになり、旅人は薬を入れて帯にはさんで携帯したという。表面には蒔絵
(まきえ)や螺鈿(らでん)など美しい細工が施されているものもあった。
印籠に入れる薬としては胃腸薬が多かったようだ。 旅先は食べ物も変われば水も変わる。お腹を壊したときのために胃腸薬は必需品だったのだろう。黄門様もなにかと苦労の多い身。胃腸薬を愛用したのかも知れない。
それにしてもカッコよくかざしたあの印籠、なかに胃薬が入っていると思うとちょっと笑える。
タバコとマッチ、先に出来たのはタバコだが?

今は禁煙ブームでスモーカーは肩身の狭い思いをしなければならなくなった。 タバコはその発見以来、世界的に何度も禁令が課されてきたが、その魔力に溺れる物は後を絶たなかった。タバコの有害性が声高に叫ばれるようになったのはつい最近のことである。
ところで、タバコがヨーロッパで愛飲されるようになったのは15世紀頃だ。日本にも戦国時代の末期に伝わっている。 タバコは漢字では煙草と書くが、これは無理のある当て字。タバコという語は元々ポルトガル語なのだ。コロンブスが新大陸から持ち帰ったのがポルトガル付近だっためポルトガル語になったと思われる。
だが、タバコは15世紀に広まったわけだがマッチが発明されたのは19世紀も末のことなのだ。それまで一体どうやってタバコに火をつけていたのだろう?
実はレンズで太陽光線を集めて火をつけていたのだ。 他にも火打ち石を使ったり木をこすり合わせたりしていた。 タバコ一つ吸うにも大変な手間がかかったのだ。
しかし、そんな苦労をして味わうタバコは、また一段とうまいものだったのかもしれない。
「円」という単位は一体誰が考え付いたのか?

日本の通貨単位である円、日本銀行券を見ると「YEN」と表記されている。
しかしこれでは発音は「イェン」になってしまう。なぜそのまま素直に「EN」としなかったのだろう?
それは「EN」では「イン」と読まれてしまうおそれがあるため。外国人は「イ」という発音が苦手で、そのためにYをつけて「イェン」と書くのである。 これは明治時代からだというが、造幣のアドバイスをした外国人が聞き間違えたのかもしれない。
アメリカの「dollar」これは本来の発音は「ダラァ」といった感じだが、日本人はドルと読む。それを考えればおあいこのようなものか。
さて、この円、なかなかうまいネーミングだと思うのだが一体誰が考えたのだろうか。
政府と言ってしまえばそれまでなのだが、中でも大隈重信は円の成立に大きな役割を果たしといわれ、円の考案者といえば彼の名が挙げられることが多い。 重信は今まで四進法だった通貨単位を十進法にしたり、銭・厘の導入など新通貨の成立に貢献したのだ。 それに、円について反対意見が出たときは親指と人差し指で円を作り、「円形がお金を意味することは誰でも知っている。どうだろう、新単位はやはり円がよいのではないか」と言ったとか。
何気なく使うお金にも意外なエピソードが隠れているものである。
ドーナツに穴があいているのは何故か

ミスタードーナツにでもいってドーナツを買ってみると、実に個性豊かなバリエーションがあり、一概にドーナツ=穴があいているとは言えなくなってはいるが、やはりドーナツといえば誰もがあの典型的なカタチを思い浮かべるだろう。
「ドーナツ型」と言われるほど社会的認知度の高いドーナツだが、一体アレ、なにゆえあのような穴があいているのだろうか? まことにくだらない、この上なくどうでもよい疑問だが、気になるものは気になる。そこで、「ドーナツの穴の謎」を調べてみたい。
穴といえばクッキーに穴を開けるように熱が通りやすくするためかとも思われるが、穴のあいてないドーナツがあることからすれば、穴が不可欠であるとは言えないだろう。
それとも、棒にでも材料を巻きつけて焼くためにあのような穴ができるのだろうか。
いやいや、それも違う。 実は、今日知られている理由は意外にあっけなく、「オイオイオイそんなんでいいんかい」とでも言いたくなってしまうものだ。
穴あきドーナツの犯人は、アメリカのハンソン・グレゴリーなる少年。母親が作っていたケーキに、何を思ってか衝動的に穴を開けたというのである。錯乱したとしか思えない。 「ドーナツには穴が開いているべきである」彼の本能がそう告げたのだろうか。この気持ち、分からなくもない。思春期の破壊願望という奴ではなかろうか。 しかし、このエピソードには別バージョンがある。
ハンソンが母親の揚げるドーナツの真ん中あたりが生っぽいと文句をつけるので、母親が真ん中をくり抜いて揚げることにしたのだそうだ。 母親が「よく火が通るように」という親切心からそうしたのか、「だったら真ん中食べるんじゃないっ!」という怒りからそうしたものかは知る由もないないが。
しかし、こんなエピソードがどうして広く知られるようになったのだろうか。そのほうが謎である。
シャープとシャープペンシルの微妙な関係

今普通に使う筆記具としてはシャープペンシルが最もポピュラーだろう。鉛筆を使うのは保守的な小学生くらいになってしまい、まさにシャーペンは筆記具の王といった感じである。
ところでこのシャーペン、シャープなペンだからシャーペンでナイスなネーミングだが、あのシャープの社名もこのペンに由来している。 ではシャープがシャーペンを発明したのかというと、そうではない。 シャーペンの起源は意外に古く、1822年にイギリスのモダンとホーキンスという人物が機械式鉛筆、つまりシャーペンのようなものを作っている。 そして37年、アメリカのキーランが「Ever
sharp pencil」という名の製品を発売している。つまりこれが「シャープペンシル」の由来だ。 日本では1877年に始めて輸入された。
さて、このペンを日本で広めたのがシャープの創業者、早川徳次である。早川は1915年「早川式繰り出し鉛筆」を発明し、製造販売に乗り出した。この時はなんともものものしい製品名だったのだ。 その翌年、改良を重ねた製品を「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」と銘打って発売。 この名前が後にシャープの社名になるのである。
シャープペンシルがシャープを産み、シャープが新たなシャープペンシルを産んだ。 シャープとシャープペンシル、それはまことに微妙な関係なのである。
君が代は誰が作ったの?

現在日本の国歌として制定されている「君が代」。
普通どこの国歌でも作詞者作曲者は良く知られているものだが、日本のこれの作者を知っておられる方は案外少ないのではないだろうか。
それもそのはずで、これは作者不明の歌なのである。もとは古今和歌集に詠み人知らずとして載せられている歌だといわれている。
明治二年に、「国歌があったほうがいい」と主張するイギリス人の軍楽隊長フェントンという人物がこの歌を元に初めの君が代を作曲したという。しかし、なにぶん外国人の作ったものだから日本人には大変不評だった。そこで明治十三年、宮内庁の林広守が作曲し、ドイツ人エッケルトが和音をつけた物が現在広く知られている「君が代」なのだ。 以後、「国旗及び国歌に関する法案」で正式に国歌と制定されるまでに様々な紆余曲折を経ている。
それにしても、国歌なのに作者が解っていないというのはなんとも変な話ではある。
マンホールの蓋は丸くなければならないのか?

マンホールの蓋が丸い理由は、今では多くの人が知っていることだろうと思う。
「人の切り口に合わせたから丸い・・・」なんていうのはよくある冗談だが、本当は蓋がマンホール内に落ちてこないようにするため。中心から見てふちが全て同じ距離にある円形が理想的な形なのである。もし三角や四角の蓋だと、ずれると落ちてしまいとても危険だ。
だが、私の調べた範囲内では日本ではマンホールのカタチを円系と定めた法律はない。
ところで、落ちない蓋は円以外にも考えられる。例えば「ルーローの三角形」というものを利用したものがそれだ。これは頂点が丸みを帯びた三角形で、中心からふちまでの距離が円とおなじく等距離の図形で、コンパスを使って簡単に作図する事ができる。

この形のほかにも、ルーローの五角形や七角形も描く事も可能だ。 では、実際にこうした形のマンホールはあるのだろうか?
世界は広いのだから、どこかにあるかも分からないが、あまり作られることはないと思われる。なぜなら、蓋を運ぶときは転がして運ぶ事が多いから。
三角形に近い蓋では転がしにくくてたまらないであろう。
日に焼けるとどうして黒くなるのか?

以前は夏といえば海岸でこんがりと日焼けするのがトレンドだったが、紫外線が強くなってきたせいもあってか近頃は積極的に焼こうとする人はあまりいない。
しかし、日に当るとなぜ肌が黒くなるのか考えてみたことはあるだろうか。
太陽からの光には人には見えない「紫外線」が含まれているが、これは体にとって有害だ。そこで、それに対する防御反応として体は「メラニン」という物質を作り出す。これが黒い色素を持っているのだ。 具体的には、紫外線が皮膚に当たると表皮にある「メラノサイト」という細胞が活性化して大量のメラニンを生産する。このようにして肌が黒くなるとその部分に紫外線が吸収され皮膚の深部まで通らなくなるのだ。
メラノサイトは夏でなくても毎日メラニンを作り出している。これによってその人の肌の色が決まるというわけ。 メラニンは一ヵ月程度の周期で新陳代謝によってその色を失っていく。夏休みに日焼けした子供たちの色が戻ってくるのもこの頃だ。 だが、急激に焼きすぎたり紫外線が強すぎたりすると新陳代謝が追いつかなくなり黒さが定着してしまう。これがシミやそばかすの原因となるのである。 夏場は女性が最大に魅力を発揮するときであると同時に天敵の季節でもあるのだ。
なんか科学の研究っぽいが一応「疑問」ということで・・・
世界一難しい言語って何語?

英語を学校でやった人は「英語が世界一難しい言語だ!」などと思ったことはないだろうか。 スペイン語を習った人は「英語なんて簡単なもの。ほんとに難しいのはスペイン語」なんてのたまうかもしれない。プログラマーは「C++だね」なんていうのだろうか。
このように世界一難しい言語なんて人によって違うのだが、ここでは「外国人が習得するのが最も難しい言語」という定義で考えてみたい。
この定義で多くの人が異口同音にあげるのがバスク語である。ヨーロッパには英語フランス語イタリア語など様々あるが、これらは元をただせば原印欧語という言語にたどり着く。つまりヨーロッパの各国語は同じ言語から派生した方言のようなものといえるだろう。
ただし、ハンガリー語、エストニア語、フィンランド語はアジア系の言語なので例外。
そうしたヨーロッパの言語のうち、全くルーツ不明で謎に包まれた言語がバスク語なのだ。バスク語はピレネー山中のスペイン北部とフランス南西部のごく一部の人々にしか使われておらず、地球上のどの言語とも全くつながりがないため、体得が非常に難しいのである。「神は悪魔に対する罰としてバスク語を7年間学べと命じた」という諺がスペインにあるほどだ。
この言葉、旧石器時代から使われているものも多くあるようで、このことから北半球が氷河に覆われる前に使われていた洞窟言語を起源とする説もある。
日本語や英語に飽きてしまったという方は、バスク語にチャレンジしてみてはいかがだろう。
とっても長いピカソのフルネーム

ピカソを知らない方はおられないだろう。言わずと知れた、絵画界の巨匠である。有名な「ゲルニカ」をはじめとして、「アヴィニヨンの娘たち」「スープ」など、数多くの名作が親しまれている。
ピカソというと目と鼻の位置が逆になっていたり人間だが動物だか分からない絵、というイメージがあるかもしれないが、実はピカソは結構普通の絵も描いているのである。もともとデッサン力は非常に優れた画家だといわれている。ピカソが色々と変わった絵を描いたのはその時々の自分の気持ちや感情を表すのに最適な画法を模索していたから。 妙な絵だと思っても、それにはどこか人をひきつけるものがあるのだ。
ところでこのピカソ、通常はパブロ・ピカソと呼ばれているが、実はフルネームはとんでもなく長い。
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウロ・ホアン・ネポセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアノ・デ・ラ・サンティッシマ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ」
この名前は彼の先祖の名前7人を盛り込んだとのこと。あまりに長いため彼自身覚えていなかったというエピソードは有名だ。
私もこれを昔覚えたが、ここに記したものとは若干違っている。というのは、ピカソはスペイン人なのでもともとはスペイン語で書かれている名前を日本語表記したため、資料によって違いが出てくるのだ。
元々のスペイン語で書かれたピカソの本名が読者の方から寄せられた。それによれば、ピカソの本名は次のようなものだ。
「Pablo Diego Jose Francisco de Paula Juan
Nepomuceno Maria de los Remedios Cipriano de la Santisima
Trinidad Ruiz Picasso.」
なるほど、日本語にするのが難しいのも理解できる。
最初に空を飛んだのはライト兄弟のどっち?

今でこそ当たり前のようにジャンボジェットや音速飛行機が上空を飛び交っているが、人類の始めての飛行はそれはささやかなものだった。
初めて動力飛行を成功させたのがライト兄弟であることはご存知のとおりである。兄のライト・ウィルバーと弟のオービル。彼らは苦心の末、1903年12月17日に、フライヤー号で初の動力飛行に成功した。
では、この時フライヤー号を操縦していたのはウィルバーとオービル、どちらだったのだろうか?
乗る順番はコインで決められ、その結果オービルが先に乗ることになった。つまり、最初に空を飛んだのは弟のオービルである。記録は飛行時間12秒、距離36.6m。
現在から見れば小さな飛行だが、人類にとっては大きな前進となった。その後、4回目の飛行でウィルバーが260mという記録を出して人類の初飛行は終わった。
確かに記録上最初に飛んだのはオービルである。だが、兄弟はきっとそんなこと気にもとめていなかったに違いない。どちらが早く飛んだかなんてどうでもいいことだ―そう思っていたはずである。 最初に空を飛んだのはライト兄弟、
やはりそれで充分なのかも知れない。
トランプのマークが意味するもの

世界で最もポピュラーなカードゲームといえば、トランプだろう。数え切れないほどのゲームが出来るし、自分で遊びを編み出すこともそう難しくない。まさに究極のカードという事ができよう。
ところで、そのトランプのダイヤとかスペードのマーク、あれはなにを象った(かたどった)物かご存知だろうか。スペードが剣を表すのは想像がつくかもしれないが、他のは一体なんだろう?
実はあのマークは14〜15世紀のヨーロッパ社会層のシンボル。スペードは貴族の持つ槍、つまり貴族階級の象徴だ。ダイヤはやはり宝石で商人を表している。クラブはクローバーとも呼ばれるが、元々はクラブ。こん棒の形で、農夫を意味する。そしてハートだが、これは心臓ではない。聖杯つまり杯を象ったもので、僧侶の象徴なのだ。
ちなみにスペードのエースだけなぜか大きいが、あれはなぜか。これはイギリスがカードに課税していた頃の名残で、納税証明の印刷をするカードがスペードのエースと決められていたためだ。
近頃トランプをやっていないという人、押入れの奥からでも引っ張り出して家族でババ抜きでもやってみてはいかがだろうか。その時こんなウンチクを披露すれば、あなたの株があがること請け合いである。
ナメクジに砂糖をかけるとどうなる?

最近はナメクジも少なくなって、台所で見つけてキャー、塩をぱっぱ、なんてこともあまりない。 だが、やはりナメクジと塩は切っても切れない関係にある。 しかし皆さん、ふと疑問に思ったことはないだろうか。「ナメクジに砂糖をかけるとどうなるのだろう」と・・・
では、そもそもナメクジに塩をかけるとなぜ縮むのだろう?そう、ナメクジの水分が塩に吸い取られてしまうからだ。よく塩をかけると「溶ける」などと言うが
、正確には水気をとられてしぼんだに過ぎない。とはいえ体の大部分が水のナメクジにとって水分がなくなるのは致命的。哀れそのまま死にいたるというわけだ。
これが砂糖ならどうか?砂糖も塩ほどではないにせよ、吸水性がある。だから、砂糖をかけてもナメクジは縮むはずだ。 別に塩でなくてはいけないというわけではない。小麦粉だっていいし、膨らし粉だっていい。粉セッケンなら毒の効き目もあって一石二鳥だ。
というわけで、今度ナメクジを見かけたら是非別のものかけて見よう・・・といいたいところだが、それはカワイソウ。ナメクジとはいえ一生懸命生きているだから、そっと何かにのせて外の日陰にでも運んであげて欲しい。 ナメクジは歩くのが遅いので、二度と家にはいってくることはできないだろうし。
消火器に描いてある3個の丸の意味は?

消火器の形をぱっとイメージすると、真っ赤な筐体に白、黄色、青の三色丸のデザインを思い出す。 あのマルは飾りではなくちゃんと意味がある。
三色丸の消火器は「ABC消火器」と呼ばれ、普通火災、油火災、電気火災に対応している。つまり最強の消火器ということだ。
Aは白丸で普通火災を表し、A火災対応の消火器は木材や紙など一般的な火事に有効。
黄丸の油火災はガソリンや灯油、料理油などの火災で、黄丸がついていれば油火災対応だ。
最後に青丸は電気火災。電化製品のショートやタコ足配線による過熱などで発生した火災に効力を発揮する。電化製品の火災にどうして特別な消化剤が必要なのかと思われるかもしれないが、これは感電を避けるため。水など電気を通す消化液では感電の恐れがあるからだ。
普通、油、電気対応と3拍子そろったABC消火器、3っつの丸は「安心のマーク」だ。 普段あまり目にとめない消火器だが、今度見かけたらちょっと注目してあげて欲しい。あれでなかなか愛嬌のある頼もしいカタチをしているものである。
信号の色が変わりつつある!

信号に使われる三種の色はと聞かれたら大体の人が「赤、黄色、青」と答える。だがたまに「赤、黄色、緑」という人がいる。 ここでちょっと信号をもう一度思い浮かべてもらいたい。
・・・あれっと思った方は鋭い。そう、信号には文字通り「青」のものと「緑」のものが混在しているのだ。
日本ではじめて電気式の信号機が使われたのは1903年のこと。この時、警察は「緑はススメ」と発表している。つまり、この時点で信号は緑だったのだ。 だがそれを報道した新聞はこともあろうに緑を青とすりかえてしまった。そりゃ赤、黄色、緑より赤、青、黄色の方が語呂がいいに決まっている。 これによって緑色の信号も青といわれるようになった。 だから緑色の信号があったという記憶は間違いではないのだ。 しかし、1970年代から本当の青色信号が作られるようになり緑は序々に淘汰されていく。
最近は青色発光ダイオードを使った視認性の高い信号機も登場し、ほとんど「青色」信号になってしまったが、田舎などではごくまれに昔ながらの緑信号を見かけることがある。 運良く見つけたら古きよき時代を偲んでみるのもいいかもしれない。