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西郷隆盛の本物の写真
目の中の微細なごみの正体
「燃焼」のメカニズム
奥が深い磁石のなぞ
細菌とウイルスはどう違うのか
軽いものがゆっくり落ちるのはなぜ?
夕焼けはなぜ赤いの?
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睡眠中に於ける精神活動である夢についての一考察。
難しい研究
     
 

難しい研究

 

西郷隆盛の本物の写真(by Hoshiyan)

      

当研究所に多大の支援をしてくださっている、Hoshiyanさん渾身の研究です!

 6/20追加分はこちらから

 西郷隆盛は薩摩藩士であり、明治維新の指導者、政治家で維新への多大な功績を残し、今なお人柄に多くの人が心寄せる。しかし、隆盛が亡くなって130年が過ぎその真の顔を知り証言できる人はいなくなってしまった。

 

私たちがよく知る隆盛の顔はイタリアの画家キヨソネが描いた肖像がある。だが、キヨソネ自身は一度も隆盛に会った事もなく、参考にする写真も残っていない。 そこで、隆盛の弟である従道の顔上半分と、従兄弟の大山厳の顔下半分を組み合わせて描いたとされる。 従って、あの写真が隆盛の真実の顔を表しているとは限らない。

事実、あの肖像を元に制作されたといわれる東京上野公園の西郷隆盛の像も除幕式では、像を見た隆盛の未亡人糸子は「私の主人はこんな人じゃなかった」と呟いたと伝えられる。しかし、これは顔のことだけなく軍人であった隆盛が浴衣の着流など着ていなかったという意味があったのかも知れない。

 

 その当時の主だった志士、坂本龍馬や勝海舟、桂小五郎、土方歳三らの写真は現存するが、隆盛の写真は一枚も発見されていない。

これは、暗殺を恐れたため写真を残さなかったという説もあるが、伝えられる隆盛のイメージにそぐわないように感じる。

やはり、隆盛自身も述べているように写真嫌いであったのだろうと思われる。

 隆盛の写真嫌いを示すこんなエピソードが残っている。明治天皇は自身の「御真影」を隆盛に下賜された時に隆盛にも自身の写真を持ってくるように命じられた。しかしその後も、隆盛は写真を献上することはなかったという。

 

 先日、古本屋を散策していると、「西郷隆盛の写真発見」という見出しのある本を見つけた。 内容を読むと、明治2年に大久保利通が島津家の若殿である忠欽、珍彦の二人を有栖川宮に紹介するため江戸城に連れていった。有栖川宮の側近として隆盛が同席しておりこの会見の後に撮られた写真との記述がある。この写真を今回、雑学解剖研究所で掲載したい。

 

 その前に少し調べてみると信憑性のありそうな記述があったので、先にご紹介する。

 1991年、秋田県仙北市角館町にある旧家・青柳家の『開かずの蔵』が100年ぶりに開かれ、古い桐箱に収められた41枚の写真が発見された。青柳家11代当主・青柳正信が集めたというこの写真の裏には、それぞれの名前が書かれており、伊藤博文・板垣退助・大隈重信などの著名人だった。

この中の一枚に、その名前が消されたような形跡がある写真があった。歴史研究家の高橋佐知氏はこの写真の人物こそ西郷隆盛ではないかとしている。

 

【削り取られた名前の謎】

 

青柳正信氏が当時の殆どの著名人の写真を収集したのに人気の高かった西郷隆盛の写真がないのは不自然である。当時、人気のあった隆盛も西南戦争が勃発すると、一転して、隆盛は逆臣の汚名を着せられてしまう。そこで、正信氏は隆盛の写真を捨ててしまう代わりに写真の名前を消し去り蔵の中にしまっていたのではないかと考えられる。

 

 

【耳の形の一致】

 

明治4年板垣退助の案内で隆盛が高知に向う途中で立ち寄り泊まった豪商竹村家に隆盛の容貌に関するメモが残っている。このメモを書き残したのは竹村家当主の与左右氏である。隆盛の耳には特徴があったようで、その記述の中にわざわざ隆盛の耳の図を描いている。この写真の人物も特徴が一致する。耳たぶが顔の側面に張り付く『密着型』と呼ばれる形をしている。

 

青柳家の『開かずの蔵』にあった高橋佐知氏が西郷隆盛であると主張する写真

(以下は6/20追加)

 歴史研究家の高橋佐知氏は、「青柳家の蔵にあった写真集の中に西郷隆盛の写真がないのは不自然」と考えた。しかし、西郷隆盛の写真は存在しないと主張する人達から言わせれば「そもそも、写真嫌いの隆盛が写真を撮っていないのだから青柳家の蔵の中に隆盛の写真がないのは不自然ではなく当たり前だ」ということになる。

一般的には隆盛は写真を撮らなかったといわれるが、事実はどうなのだろう。

 実は隆盛が写真を撮ったという記録がある。明治35年4月22日付けの「東洋日の出新聞」に『日本写真の起源』という記事があり坂本龍馬を初めとする志士らの写真を撮ったという記述があり、その中に西郷隆盛の名も記載されている。このことは、隆盛は写真嫌いではあったが、彼の写真が現存する可能性を否定しないということになると考えられる。
 

上野彦馬氏が撮影した有名な坂本龍馬の写真


「東洋日の出新聞」の記事は上野彦馬氏を取材して書かれている。この上野彦馬氏とは日本写真界の父とも呼べる人物で、文久2年暮れに長崎県の中島川河畔に彦馬は日本最初の商業写真館・上野撮影局を開設すると、数千人ともいわれる門弟受け入れ後進の育成に努めた。しかも撮影所での活動にとどまらず、隆盛が参戦する西南戦争や惑星観測を撮影して名を馳せ、明治23年には海外に弟子を派遣して支店を開設していったという。その彦馬氏は幕末から明治にかけて、まだ無名だった志士を多く撮影する。その中に西郷隆盛もいたということになる。

 

 今までにも、隆盛の写真が発見されたと話題になった事件がある。主なところでは、明治15年ころ隆盛の写真ではないかと騒ぎになった事件があったが、この写真は薩摩藩士永山弥一郎と判明し世間をがっかりさせた。次にアメリカの宣教師フルベッキを囲んで写っているグループの中に隆盛がいると噂になった。
 

上段左端の人物が西郷隆盛と噂された

しかし残念ながら詳細は割愛するが、産業能率大学の元理事長・上野一郎氏は時代が合わないので、隆盛の写真ではないと結論付けた。

 

 今回、掲載させていただいている西郷隆盛の可能性がある写真は内田九一氏が東京の浅草に開いた写真館に保管されていたもので、内田九一氏は先の上田彦馬氏の一番弟子とされる人物だ。九一氏の写真館は評判が高く、政治家や政府の高官、財界人など多くの著名人が訪れたという。

この写真は6人が並んで撮影されており、島津家の三男・島津珍彦、同四男・島津忠欽、大久保利通、伊藤博文(当時は俊介)、小野熊三郎、そして西郷隆盛だとされる。隆盛と伊藤博文を除く人達は比較する写真が現存し間違いがない。伊藤博文は私たちが知る風貌と違って感じるが、専門家の鑑定結果、伊藤博文であることが分かった。


この写真が撮影された当時の明治2年ころは大久保利通と伊藤博文も東京にいたことが確認できる。肝心の隆盛は明治3年に1月には東京にいたことが記録から分かっているが、2年当時どこにいたのか分からない。(東京の可能性も薩摩の可能性もある)
幕末写真研究家の宇高随生氏によると、明治2年に大久保利通が島津家の三男・島津珍彦、四男・島津忠欽の二人を有栖川宮に紹介するため江戸城に連れて登城した際、有栖川宮の側近として隆盛が同席し、この有栖川宮と島津家の若殿二人との会見の後に撮られた写真だとしている。


さて、明治4年板垣退助の案内で隆盛が高知に向う途中で立ち寄り泊まった豪商竹村家に隆盛の容貌に関するメモが残っていることは前述した。竹村与左右氏が残したこのメモには隆盛の耳は耳たぶの大きい福耳で、筋や溝がなくモチを延ばしたような変わった形をしていると書かれている。写真の人物は確かに耳たぶが長く特徴があるように見えるが、中に筋や溝がどうなっているかまでは分からない。この写真の人物は隆盛の特徴である大きな目には見えない。しかし、法医学者の鑑定によると、この写真では半分目を閉じた半眼で写っているが、実際には大変眼が大きいそうだ。
 

西郷隆盛の可能性がある写真
 

いずれにしても、ロマンのある話である。
今後の研究成果待たれる。

 

>Hoshiyanさんの西郷隆盛に関する研究でした。有難うございました。

大変説得力のある写真ですね。後は、この日写真を撮った他の人々や、関係者の日記などがあり、その中に「西郷隆盛と写真を撮った」という記述があれば裏付けが取れそうですね。

 Hoshiyanさんも応援してくださっている、趣味雑学大賞への応援を宜しくお願いいたします。メールアドレスだけで投票することができます。一人ひとりの投票は大変重く、出版化の可能性もでてきます。是非宜しくお願いいたします。

 

 

目の中の微細なごみの正体

      

  目の中に微細なホコリのようなものが見えることがありますか。

目の前に小さな灰色の点がつながったようなものが浮かんで見えたことがあるかもしれません。

 特に、白い壁や青空などを見つめたときによく視界に現れます。

 誰しも、この斑点の正体を見極めようと、凝視した経験があるはずです。しかし、それができずにイライラしたことでしょう。斑点は漂うように移動してゆき、それを目で追いかけると激しく移動してしまいます。

 この現象は一体何なのでしょうか。かなり大勢の人がこれを経験しているはずですが、他人には説明しにくいのと、自分だけかもしれないという心配もあって、この症状の名称を知っている人は多くありません。

 

 この症状は、「飛蚊症」(ひぶんしょう)と呼ばれるものです。「症」ですが、あまり心配しないでください。日常に支障がないレベルなら、問題ありません。

 飛蚊症における斑点の正体は、眼球の内部を満たしている「硝子体」(しょうしたい)という液体内に浮遊しているゴミです。

(硝子体は、一番上の解剖図で赤く塗られている部分です。左のレンズのようになっているのが水晶体、そして硝子体の中にある線は血管です。)

硝子体は濃さが水とあまり変わらないゼリー状のため、ゴミはふわふわとその中を漂うのです。

では、硝子体の中にどうしてそんなゴミが入ってしまったのでしょうか?

 

 ゴミの原因の一つは、胎児のときの発育過程で生じた残存物です。胎児の初期の発育段階では、眼球内はかなり繊維状になっています。それらの繊維や他の細胞は成長とともに発達してゆき、誕生時には硝子体に変わっているのですが、わずかに繊維や細胞が残ることがあり、それが浮遊するのです。

 

 また他の原因もあります。 加齢に伴う細胞片の剥離です。

大人の硝子体は全部がゼリー状ではありません。「硝子体膜」という繊細な膜に包まれています。硝子体膜はちょうど、卵の殻と白身の間にある薄皮のようなものです。いうまでもなく、白身は硝子体ということです。

卵で例えると、殻にあたる部分は光を感じる器官である網膜になります。

硝子体膜と網膜は普段ぴったり接しているのですが、老化に伴ってこれらが離れてしまうことがあります。この際に微細な繊維片や細胞片が硝子体内を漂います。加えて、元々接着していた部分は影となって飛蚊症の原因となります。おまけに、年齢が進むと硝子体はさらに水っぽくなり、浮遊物が漂いやすくなるのです。

 映画館のスクリーンと映写機の間を虫が飛ぶと、虫の影がスクリーンに映し出されますね。スクリーンに相当するのが網膜で、映写機にあたるのは水晶体です。その間の空間が硝子体で、そこを飛ぶ虫が浮遊物、というわけです。

 

 私たちは肉眼で細胞レベルの大きさの物を見ることはできません。しかし、赤血球を肉眼で見ることができる、といったら驚かれるのではないでしょうか。 実は、眼球内に浮遊するゴミの中には、眼球内の血管から放出された赤血球である場合があります。

頭部を強打したり、眼球を過度に圧迫すると、眼球の小さな血管から赤血球が糸のように放出されます。赤血球は粘り気があるため、塊になったり鎖状に連結したりしている場合があります。それらが硝子体を浮遊して網膜のそばにとどまると、見えることがあるのです。

ただし、赤血球はやがて体内に吸収されてしまうのでやがて見えなくなります。

この場合、一時的な症状ですので一般的な飛蚊症とは区別したほうがよいでしょう。

 

 前述したように、飛蚊症は軽いものなら放置して構いません。近眼のひとはほとんどが飛蚊症の症状が現れていますし、老化にともない浮遊物の数が増えるのはやむをえないことです。 ですが、以前と比べて急激に浮遊物が増えたと感じるならば、注意が必要です。とりわけ、ちかちかした光が見える場合は網膜はく離の可能性が高いです。すぐに眼科に相談しましょう。

 

 目の中のごみの正体がわかってすっきりしましたか?今まで意識していなかったのに、かえって気になってしまうかもしれませんね。

 

 

「燃焼」のメカニズム

 私たちの家庭に届いているライフラインは幾つかありますが、中でも水道と並んで重要なのがガス、つまり火です。稀にガスが切れたり地震などで供給が止まったりすると、そのありがたみは身に染みてわかるでしょう。一日でも火が使えないとなるとその不便さは大変なものです。

 しかしこれほど身近な現象にもかかわらず、物が燃えるということの細かな仕組みまで気にする人はあまりいません。そこで今回は、「燃焼」について掘り下げて考えてみたいと思います。

 

  一般的な「燃焼」とは、物質が酸素と激しく反応する時に起こる光を伴う発熱…であることは恐らくご存知でしょう。 普通に見られる燃える物質はみな、酸素分子と結びつきやすい分子を含んでいるのです。そして燃え尽きた後には普通、二酸化炭素と水、そして燃えカスとして炭素や微量のカリウム、カルシウムなどが残ります。

 

 では、燃焼現象の順を追って見ていきましょう。

まず燃料となる物質に火がつかなければなりません。私たちは普通に紙に火をつけたりガスに点火したりしていますが、これが実は意外と複雑な反応を起こしていることがわかります。

  例えば、ライターの火をつけるという行為。フリント(火打石)式の百円ライターの場合、火打石と鉄がこすれて火花が出る→直後にガスが出る→火がつく となります。電子式の場合は ガスが出る→高電圧の電気火花が出る→火がつく という流れです。

 ここで注目したいのは、そもそもどうして「火花でガスに火がつくのか」ということです。フリントから発せられる火花と電子ライターの電気火花はだいぶ性質が異なります。火打石から発せられる火花は高温になりますが、圧電素子による電気火花の温度は高くなりません。

  それに、燃料に点火する力を持つのは火花だけではありません。

ガスや油などの燃料に点火する力をもつものを、「点火源」といいます。点火源は大きく四種類に分けることができます。

 

(1)各種火気 

マッチやろうそくなどの、すでに火種となっている炎や、高温となっている物質です。フリント式百円ライターの火花もこれに含まれます。

(2)衝撃・摩擦熱 

強い衝撃が元になって火が発生する場合があります。ニトログリセリンなどはその代表格でしょう。

(3)酸化熱

速乾性の植物油などは、布やおがくずにしみこんだ状態で放置すると自然発火を起こします。酸素と化合する際に大量の熱を発生し、一定以上の温度となると発火します。

(4)静電気の火花

摩擦によって二つの物体の間で電荷(電子の量)が大きく異なってくると、急激な放電を起こして火花が発生し、点火源となります。また、液状のガソリンなどはそのものに流体摩擦と呼ばれる摩擦があり、攪拌などによって静電気を蓄積し発火することがあります。

 

これらが「発火」の原因となる要素です。火花以外にも様々な因子があることがわかります。

では、これらの現象が起こるとなぜ発火するのでしょうか?

電球は一定量以上の電気が流れないと光りません。同じように、発火性物質も一定以上のエネルギーを受ける事で発火するのです。この「エネルギー」に上記のような様々な形態があるわけです。

石を金槌で砕こうとする時も、弱い力で叩いてもなかなか砕けません。石を砕けるほどの強い力を加えなければなりません。この金槌の力に相当するのが、例えば火花や高電圧であったり摩擦熱だったりするわけです。 しかし、弱い力で何度も叩くことで石が砕ける場合もあります。これと同じように、油をフライパンなどで熱し続けると炎が出てきます。時間をかけてエネルギーを加え続けることで、発火するために必要な力に足りることがあるのです。

  しかし、エネルギーを与えられた物質が発火し、かつ燃焼を維持していく、というのはどういうことなのでしょうか?

そもそも、一般的な燃焼というのは急激な酸化反応、つまり物質が酸素と結びつく際に起こります。ですが、例えば可燃性ガスも酸素が「ある」だけでは燃えません。つまり、ガス栓をひねってもライターのボタンを押しても、火花が飛ばなければ燃え始めません。火花などの強いエネルギーを与えられることで、燃料の分子結合が一旦切られるのです。そして次の瞬間には熱を発生する酸素との結合反応が始まります。後は連鎖的に反応が起こっていきます。つまりこういうことになります。

  「エネルギーを受ける事で分子が分解する」→「分解した分子と酸素が結合する」→「熱が発生する」→「その熱で更に反応が促進される」

これはかなり単純化した説明です。実際には、分解・結合の過程では凄まじく複雑な反応を繰りかえしてしています。

 

  でもちょっと待ってください。燃料と酸素が結合することで、なぜ燃焼を持続させるのに十分な熱が発生するのでしょうか?

それは、酸素と燃料の分子同士が速い速度で激しく衝突し、大きな熱エネルギーが生まれるからです。燃焼の際には、燃料を構成している原子間の結びつきが切れるほどの高いエネルギーが発生しているのです。逆に言えば、結びつきを切ることができるほどのエネルギーがなければ火をつけることは出来ないということです。

 

  以上から、燃焼とは「分解と再結合の連鎖反応」ということができるでしょう。

十分なエネルギーによって燃料の分子結合が分解し、代わりに酸素と化合していくのです。その際発生する熱エネルギーを得て、更に反応が進んでいくということです。

  燃焼の際、酸素と結びつく主な原子は炭素です。炭素は酸素と化合し、二酸化炭素と変化するわけです。

石油、灯油、軽油、ガソリン−こういった身近な燃料もみな炭素が含まれているのです。

 

  料理でコンロを使う時、ライターに火をつける時、キャンプファイヤーをする時。どんな機会でも構いませんが、炎を見たらその美しさの源となっている現象も考えてみてはいかがでしょうか。

 

 

奥が深い磁石の謎

 「科学の研究」で磁石の仕組みをある程度解説していますが、突っこんだ部分はここで扱うということで保留にしてありました。

例えば釘は一時磁石にしかならないのに永久磁石はなぜ磁力を保ち続けられるのか?磁石を熱すると磁力がなくなってしまうのはなぜか? 今回は磁石の謎について更に深く調べてみたいと思います。

 

さて、科学の研究で書いたように磁石は原子一つ一つが磁石になっているということでした。原子の磁力は微々たるものですが、その向きが揃うことによって強い磁石になるのです。 

 

  何本かの釘を磁石にくっつけてみるという遊びをしたことがおありでしょう。一本目の釘のみならず二本、三本とつけることができます。これは釘の原子が一時的に向きを揃えられて磁石になったからです。しかし磁石から外すとまた元の釘に戻ってしまいます。

磁石は永久磁石というくらいですから基本的にずっと磁力を保つことができます。この違いはどこからくるのでしょうか? 実は、一般の磁石は鉄に1%ほどの炭素が含まれています。炭素を加えると鋼(はがね)と呼ばれる硬い合金になります。そこで鋼の磁石の内部を見てみると・・・

このように、鉄原子との間に炭素原子が入り込んで鉄原子と絡み合っているため、鉄原子は自由に向きを変えられないのです。それで磁石は半永久的に磁力を保つことができるのです。

 

 さて、この仕組みがわかると「磁石を熱したり叩いたりすると磁力が弱くなってしまうのはなぜか」という疑問の答えも見えてきます。実際に実験してみるとよくわかりますが、磁石を火であぶるとほとんどつかなくなってしまいます。また、カナヅチなどで叩いても弱くなります。

熱したり叩いたりすることによって磁石は一時的に激しい分子運動を起こし、炭素原子と鉄原子の結びつきが切れてしまいます。しばらくすると運動は収まりますが、その時には幾つかの原子がてんでにバラバラの方向を向いています。このため磁力が弱くなってしまうのです。

また、これを利用して磁石を作ることもできます。例えば方位磁針の針(地磁気の通っている方向)と平行に釘などを置き、カナヅチで何度も叩きます。すると釘は磁石になってしまいます。この現象のからくりはもうお解りでしょう。カナヅチで叩くと分子運動がおき、原子が一時的にフリーの状態になり、そこに地磁気が通っているので原子はその向きに揃えられてしまうのです。

 

  簡単に見えて難しい、難しいけれど単純、単純だけど奥が深い磁石の世界、少しばかりはお楽しみいただけたでしょうか。

 

 

細菌とウイルスはどう違うのか

 ある文献では細菌とウイルスの違いはその大きさだとする場合があります。この考え方は大局的に見れば間違いというわけではないかもしれませんが、やや不正確で妥当性を書いた表現です。  

 

  現在、生物界は五つの界に分類されています。 即ち、動物界・植物界・菌界・原生生物界・そしてモネラ界です。

そして細菌は実はこの「モネラ界」に含まれます。モネラ界というのは、藍藻類と細菌類(バクテリア)を生物の一界としたときの名です。 最近では原核生物界とも呼ばれます。

ですから細菌は、「モネラ界=原核生物」に属するものといえます。この界には細胞内に明瞭な核膜を持たない、主に単細胞の植物や動物が含まれます。 しかしこのあたりの見解は学者によって様々で、一律されていないのが現状です。

 

  蛇足になりますが、ミドリムシは植物と動物のどちらに含まれるかご存知ですか?辞書によれば、

「ミドリムシ-植物門の単細胞藻類。原生動物門鞭毛虫類としても分類される」 …ようするに植物動物どちらにも分類できるということですね。 このように、微生物界はまだまだ不安定な所がたくさんあります。 でも、そこが面白いのかも知れませんね。

 

 では、次にウイルスについて考えてみましょう。 ウイルスは、よく「ヴィールス」とか「ビールス」などといわれるものと全く同じで、[Virus] とつづります。

ここで覚えておきたいのは、大きさが20〜300nm(ナノメートル)と非常に小さいことです。細菌は0.1〜3.0マイクロメートルで、10倍ほども違います。 さて、ウイルスの定義はどのようなものでしょうか。それは、「遺伝情報をになう核酸(DNA または RNA)とそれを囲む蛋白殻(カプシド)から成る微粒子」というものです。

簡単に言ってしまえば、ウイルスはほとんど遺伝情報だけの存在なのです。ほとんどというのは、蛋白や脂質を含むものも存在するからです。 そして、生物の定義のひとつに「自己複製」というのがありますが、ウイルスの場合宿主を利用しなければ増殖することができないため、生物とはいえない、とされています。そのためか「微粒子」という定義になっています。

 

  ウイルスは、それぞれに合わせた宿主細胞に寄生します。 つまり、AウイルスならA´の宿主に、BウイルスはB´に寄生といった具合です。 ところが、まれにAウイルスがB´に寄生してしまうケースもあります。

例えばエイズなどがそうで、エイズのウイルスHIV(人免疫不全ウイルス)はもともとサルに寄生するウイルスだったといわれています。また、狂犬病やインフルエンザなどもその一例でしょう。

 

  さて、ここまでウイルスと細菌について書いてきました。最後に両者の違いをまとめて見ましょう。

 

名称 ウイルス 細菌
大きさ 20〜300nm 0.1〜3.0μm
増殖 他の細胞内でしか増殖しない 分裂を繰り返して増殖する
生物界での定義 微粒子 モネラ界に属する単細胞生物

 

 

軽いものがゆっくり落ちるのはなぜ?

 重いものも軽いものも実際には同じ速さで落下するんじゃないか―

そう考える方は、常識があります。

  しかし、それは真空中ならではのこと。空気中ではどうみても、軽いものの方がゆっくり落ちます。ではなぜ空気中ではそうなるのでしょうか?

  「それは、空気の抵抗があるから」

それはそうかも知れませんが、重いものにも軽いものにも形が同じなら同じ空気抵抗が働いているはずです。同じ空気抵抗が働いているにも関わらずなぜ軽いものの方がゆっくり落ちるのでしょうか。

 

  ここでちょっと脱線するふりをして、風船のことを考えて見ましょう。 縁日などでよく売っている、ヘリウム入りの風船です。あの風船はうっかり手を放すとすぐに空へ浮かび上がってしまいます。これは、ヘリウムが空気よりも軽いためですが、空気より軽いとなぜ物は浮かびあがらなけらばならないのでしょうか。

  実は、コップの水に入れた木片が浮くのと全く同じ理屈なのです。つまり、水には浮力がありますから自分よりも軽い木片を上へ押し上げます。同様に、空気より軽い風船は空気の持つ浮力によって宙へ舞い上がるのです。

  物体に働く浮力は、物体によって押しのけられた流体の重量と一致します。

つまり、空気が入って膨らんでいる風船でもヘリウムによって膨らんでいる風船でも大きさ(体積)が同じならば働く浮力の大きさは同じになります。あとは、生じた浮力が物体の重さに勝てるかどうか、ということで浮き沈みが決定されることになります。

 

  さて、こうして空気にも浮力があるとわかりました。ここで、一つ実験をしてみましょう。フィルムケースを2つ用意して、片方には水とビー玉を2個、もう一つには水とビー玉を4個入れます 。それを、お風呂の浴槽に同時に入れて見ましょう。

  圧倒的な差をつけて後者の方が速く落ちます。

こうしたことを踏まえれば、空気中で軽いものがゆっくり落ちる現象もたやすく理解できます。

すなわち、軽いものは空気によって生じた浮力が重力をある程度打ち消すので、ゆっくり落ちるのです。

ですから、落下時の空気抵抗というのは浮力に他ならないのです。

 

  ちなみに、浮力というものは流体中に生じます。流体というのは水などの液体、また空気などの気体のことをさします。

  普段の生活では空気の浮力など気にも留めませんが、実は大変大きな力なのです。

 

 

夕焼けはなぜ赤いの?

 雲のない青い空もいいですが、夕焼け雲にもどことなく哀愁を誘う素晴らしい風情があります。

  No.1で空が青い理由を説明しました。しかし空は青いとは限りません。天気のいい朝や夕暮れ時には赤く染まります。ではなぜ朝焼けや夕焼けというものがあるのでしょうか。今回はその理由を探って見ましょう。

 

  この問題は実は全く難しくありません。No.1の空が青い理由の応用編とでも考えればいいでしょう。 

  まず、普通の状態で空が青いのは大気が青い光を拡散してしまうためでした。では、夕焼けのときと普通のときでは大気の何が違うのでしょうか。図1と図2を見比べてください。

 図1 図2

 

 図1は昼間を、図2は夕方や朝方を図示したものです。

昼間は太陽光線の大気を通る距離が短く夕方は距離が長いことがわかります。 つまり、昼間は大気を通る距離が短いので青い光が散乱してしまい、大気全体から地表へと反射します。しかし日の出や日没時などは青い光は完全に大気に吸収されてしまい、赤い光だけが地表へとどくのです。

 

  それともう一つ。夕焼けが赤くなるのは実は空気分子のためばかりではありません。 埃も大いに関係しているのです。 実際、大気汚染の進んでいる工業都市などの夕焼けはどんよりとして見え、赤い色調の他は色がありません。 反面、空気の綺麗な所に住んでいる人は都会に住む人には見られない様な種々の鮮やかな色の夕焼けを見る事ができます。

では、ここで二回のまとめをしましょう。

 

 太陽が地平線よりずっと高いところにある、よく晴れた日には空は青く見えます。波長の短い青い光の波が大気のために散乱し,空全体から地球に反射するからです。

  しかし、夕方になって太陽が地平線に向かって落ちるときは、太陽の光が地球の大気の中を通過して地表に達するまでの距離が長くなります。従って、太陽の光は大気中の分子や微粒子に当たりやすくなります。波長の短いほうの青色光線は遮られて大気中に吸収されてしまい、我々の目には達しません。

波長の長いほうの赤色光線は、大気を貫いて地表に達し、日没と日の出に見られるような美しい色を作り出すわけです。

 

 色というものは、目に届く光の波長によって決まります。色が変化するときには、どんな要因が波長に影響を与えているのか、ということに注目すればよいのです。

 

 

空はなぜ青いの?

 子供などがよくする質問でも最も多い部類に入るのがこの質問でしょう。 大人の方でも疑問に思っておられる方がいるかもしれません。

この質問は雑学の本などでも頻繁に取り上げられており、よく知られているはずなのですが、分かったような分からないような説明が多くていまいち理解できないという人も多いようです。そこで今回はこの素朴な疑問を分かりやすくかつ詳しく説明したいと思います。

 

  さて、我々が色を識別するのは光の色を識別しているわけです。それの証拠に、例えば赤いセロファンを通して世界を見ると真っ赤になってしまいます 。光の色が全て赤くされてしまったからです。では、光の色はどうやって決まるのでしょうか。

  それは「波長」と呼ばれるもので決まります。

波長というのはサインカーブ、すなわちy=sinθで表される波形の波同士の距離です。 こう書くと難しく思えますが、病院などにある心電図の波形、あれをイメージしていただければいいでしょう。

ちなみに波長λ(ラムダ)は λ=c/fという式で表されます。ここでcは光速でおよそ 3×10^8[ms]、つまり秒速30万キロです。fは周波数で、 f=1/T という式で求められます。Tは周期で、波と波との間の時間[s]です。

 

  話を元に戻しましょう。この波長が長ければ長いほど、我々の目に見える光としては赤っぽくなります。つまり、カーブが緩やかなほど赤いのです。 逆に言えば、波長の短い光ほど青くなると言えます。

 

  さて、空気中つまり大気ですが、空気分子をはじめ様々な物質粒子があるので、外から入ってきた光はこれに散乱させられます。そうすると、波長の短い青い光ほど散乱しやすくなるのです。この現象を説明するのはいささか難しいことです。というのは、自然界にはこのような現象の例になるものが少ないからです。

 

  …では、スーパーボールを例にあげましょう。今、スーパーボールを誰かに向かって弾ませながら投げたと思ってください。 まずあなたは力強く、低い球を投げます。すると、ボールは広い間隔でバウンドしながら飛んでいきます 。 と、相手がボールを後ろに逸らしてしまいました。 そこで今度は床に叩きつけるようにして、短い間隔で弾むように投げてやります。…今度は取りやすく、うまくキャッチできました。

  つまり、低い球が赤い光です。波長の長い赤い光は、物質粒子の影響をあまり受けないのです。対して青い光は相手にキャッチされやすい、つまり粒子に散乱させられてしまいやすいのです。

 

  もう一つ例を挙げましょう。 今、海にボートを浮かべているとします。海面には小さな波がいっぱいできており、これらはボートに当たると散らされ砕けてしまいますが、大きな波はボートを揺らすだけでどんどん進んでいきます。 この場合、ボートが空気中の粒子です。

  つまり空気中の光のうち、大きな波長のものは物質粒子に阻まれることなく外に出て行きますが、小さな短い波長の光は散乱され、空気中を満たすわけです。そしてそれは空全体から地球に反射し、ちょうどお風呂にバスクリンなどを入れるように空は青く見えるわけです。

 

  ちなみに、海が青く見えるのもほぼ同じ理由によるものです 。但し、もちろん海のほうが粒子の数は圧倒的に多いですし、空の色を反射していることもあるのでより青く見えるのです。

では次回は「夕焼けはなぜ赤いか」ということを解説しましょう。

 

 

睡眠中に於ける精神活動である夢についての一考察。

睡眠中に於ける精神活動である夢についての一考察。

 

  通常睡眠時に知覚する夢は支離滅裂としており、筋道が通っていないものである。

夢は逆説的睡眠、いわゆるレム睡眠時に多く発生する事が知られている。レム睡眠時の脳波は自律神経系の働きが活発で、起床し活動状態にある脳波と類似しており、ある程度脳が活動していることの現れであり、夢を見ることとの関連性が指摘されるものである。

  嘗てフロイトは夢は心の深層にある願望の偽装された充足であり、抑圧された願望が暗示されていると主張した。現在でもこの説は多く支持されており、人間の意識下にあるものを圧縮、置換、象徴などして整理を付ける為に脳が起こす行動の一種が夢であるとの見方が強い。

  本文は上記の点を踏まえながら経験的な要素を加えて夢の分析を行った一考察である。

 

  前述したように夢は断片的な思考ないし意識が無作為に組み合わされ或いは列挙された構成の場合が多く、理論的で筋の通った夢を知覚することは稀である。然しながら理論的な夢を見たと意識する場合、そのときの睡眠は浅いものであったと体感する場合が多々ある。これはレム睡眠時でも 特に浅い眠りの状態にあるものと考えられ、脳の活動が比較的活性化している為、ある程度の思考力が働いた結果と思われる。

更に、ノンレム睡眠時の深い睡眠状態に知覚する夢は断片的で短いものが多い。

  また、興味深い点として、覚醒した直後には夢の内容を把握していても、しばらく時間が経過すると忘れてしまう、又は記憶が曖昧かつ薄くなっていくという現象が普遍的に見られる。

 

  これらの要因また体感的な見地から、「夢は暴走する空想である」という仮説を提唱する。

人間が行う空想は映画や小説など広く見られるが、普通それらは思考され理論的に構成されたものである。睡眠時に知覚する夢は多くの場合脈絡の無い構成となっているが、これは脳の視覚野また記憶野が働いているものの思考野があまり働いていない状態にあると推察できる。

  次にあげるのはその例証である。

思考力のある人間は本を読む際、一冊を手に取り最初から読み始め、事情があると中断し再開するときは今までの続きの部分から読みはじめる。これが脳が起きて活動している状態である。これに対して、一冊を手にとり途中から読み始め、少し読んだらまた他の本に移り少し読む…ということを繰り返し、しかもその内容は殆ど把握していない状態、これが睡眠時の夢である。

  つまり、睡眠時に於いて理論的な思考を欠き抑制されていない空想状態、則ち「暴走する空想」が夢である、と結論する。

  また覚醒後に夢の内容を忘れていくのは、記憶の混乱を避けるために脳が講じる安全策だとも考えられる。夢の内容を鮮明に記憶していたのでは、実体験の記憶の認識に混乱が生じてしまうからである。

これは睡眠中の夢の内容は記憶野に保存されにくいことに主な要因があると思われる。

 

  以上のように夢を一種の空想現象と捉えるならば、正常な思考状態では考えない行為、行動、また意識下の記憶などを組み合わせた制御されていない精神活動の広範な説明が可能となる。

 

 
     
難しい研究